介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

悔悟を超えて、介護のままに、「キャメロン・ディアス」のごとく!

 
メイルは、すべての物理的なモノを失いつつ、自分の介護の将来に苦笑いしながら、じっくりゆっくり歩み始めている。
「どこに向かえばいいのか? 母親のように介護度5に突然なったらどうするのか? 何のために生きながらえるのか? 明確な答えを持てなくても、歩くしかない。止まることも、休むこともできない。すぐ近くで温かく手を差し伸べてくれた人たちに、とりあえず恩返しをするためにも…。本当は走りたいのだが、さすがに、どうあがいても、疲労困憊の今のカラダでは鞭を打たれても走れない。それより何より、この介護の日々の数年間、走らないでいたら、実際に走れなくなってしまっているのかも…」
メイルには、それが結構ショックでもある。
光陰矢の如し。
「いくら因果応報と言っても、この老人社会、未成熟な介護システム…。自分のように、最も人生で貴重な時間を、こうして滅私奉公のように浪費している人は、たくさんいるのだろうな…」
そう考えると、やはり、のんびり、あるいは自暴自棄になって、止まっているわけにはいかないとメイルは強く決心している。
生れて初めて、両親のいないデラシネ(根無し草)になった今、残りの人生で何の花を咲かせられるのか、不安というよりは興味深いところが強い方が事実である。それにしても、
「両親は一体どこに行ってしまったのか? かの親鸞上人も行ったことがないから知らないと言っていた、浄土は本当にあったのか? それより、二人は今一緒なのか?」
と時々、考えては、メイルは冷や汗をかいてもいる。
「どうかもう一度、いや初めて本当に仲睦まじくなっていて欲しい…」
メイルは心の底から願っている。

そんなメイルが、最近よく考えるのが、「イン・ハー・シューズ」のキャメロン・ディアスである。
両親が再婚し、その継父と仲が悪い。ついつい忍耐がなく努力を怠る性格が影響して、日々刹那的な生き方をしている。
しかも、本当の姉は弁護士で、ちゃんと独立して自活している。
ただ、姉の劣等感は、妹のキャメロン・ディアスのような美人ではなく、どうしようもない上司の妻帯者と不倫している。
そんなある日、その不倫相手と寝ていて、悲しいぐらい健気に男の寝顔を写真に取ろうとしているところに、酔いつぶれた妹を引き取ってくれと電話を受ける。
当然のごとく、誠実な姉は、あまりにも惨めな妹の姿に説諭する。
「私みたいな落ちこぼれの、何をやってもうまくいかない人間の気持ちの、何がわかるの!」
キャメロン・ディアスは、シニカルに反発し、モテなくて、靴を買い続けている姉を逆に揶揄する。
それでも、姉は自分の部屋に妹を引き取る。
そして、妹のキャメロン・ディアスは、男を泊めている姉を冷やかしまくる。
翌朝、偶然全裸で歩く姉の相手の男を一見しただけで、キャメロン・ディアスは男のレベルを感じる。
真剣に妹を何とかしなければと口うるさく叱責し続ける姉。
一念発起し、何とか就職口を見つけようとするキャメロン・ディアス。
そんなある日、借りていた姉の車を駐車違反で運ばれてしまう。
急いで仕事に出かけようとして、それを知り、激高する姉。
言われることがすべてその通りだからこそ、余計開き直るキャメロン・ディアス。
その焦燥で、その夜、尋ねてきた姉の情夫と関係を持つ。
情けない情夫の方も、これ幸いと馬乗りになっているところへ、帰って来て目撃する姉。
姉は、悔しくて悔しくて飛び出してゆく。
そして、映画は、そんなマヤカシの世界から、姉は離れ、キャメロン・ディアスもさらに姉妹愛を深め、自立してゆくまでの極く普通の物語。

メイルがこのキャメロン・ディアスに共感し、そのことを無闇矢鱈と思い出すのは、今と全く違った角度から人生に斜になっていた高校時代と、なぜか自分がダブルからである。
受験にも興味がないだけでなく、クラブ活動中の事故で九死に一生を得、まるでデカダンの極みのような毎日を過ごしていた。
そんなある日、学校にも行かず、誰もいないはずの家の自分の部屋で、メイルはガールフレンドとsexの真っ最中だった。
その時、
「バッシ!」
裸だったメイルは背中を思いっきり叩かれた。
そこに、問答無用の顔をした母親がいた。
「服を着て、いらっしゃい!」
母親はメイルにではなく、ガールフレンドに向かって言い放った。
メイルはその母親を力任せに押しながら、居間まで連れて行き、懇願した。
「彼女は関係ないだろ!今日は何も言わないで!」
そんなメイルの言葉は全く無視され、彼女をコンコンと説教した。
「子どもができたら、どうするの?そんなことになったら、ご両親に何て話すつもり? そうでなくても、女は大変なのよ…」
その直後、メイルは家を出て、放浪の旅に出た。
そして、静岡県の伊東市で住み込みで働き始めた。戸籍も無断で移籍した。
今とは違って、何もかもどうでもよかった。
ただ心のどこかで、いつも家を意識していた。
その家がなくなった今の方が、生きる意識が高いことに、素直に驚きつつ、
「ようやくこの歳になって、少しは成長したのかな」
と苦笑いしてもいる。

イン・ハー・シューズイン・ハー・シューズ
(2008/04/16)
キャメロン・ディアス

商品詳細を見る


☆介護の重要ポイント26

介護者が、被介護者に対し、優位であるなどということが全くないのは歴然。
できる限り被介護者の心中を慮って、残りの時間をコンフォタブルに過ごさせてあげるしかしかない。
それこそが、唯一無二の責任と言っても、過言ではない。
ところが、昨今の家族間のコミュニケーション不足のために、これが意外に難しい。
特に、日本人ならではの恥への強い意識があるから、簡単に相手の意のままには行かない。
被介護者には、「当然こんな醜態を曝すくらいなら、死んだほうがマシ」という自暴自棄な考えになりがちな傾向が出てくるし、介護者の方にも「こんな大変な思いをするくらいなら、いっそ一緒に心中でもしたほうが…」という気持ちにもなってくる。
かなり奥の深い問題なのである。
どちらにしても、メイルは自分の経験で、たった一つだけ示唆できるのは、「今までの親不孝の埋め合わせをしようとだけは、絶対に考えてはダメ」ということ。
現在の介護システムでは、仮に経済的に余裕のある人でも、ずっと誰かにゆすられているような強迫観念でクタクタになるし、経済的には自分が間違いなく破綻する。
人間的であることの難しさをつくづく感じさせられる。
その一番象徴的なことは、亡くなってしまった人間の私物の始末である。
手紙やアルバムですら、パーソナルなものであり、勝手に処分できないが、本人以外の誰にも用がない。
ましてや着る物になると、本当にどうしていいかわからなくなって、途方に暮れる。
結論的に言えば、介護者は、被介護者に代わって、いくつかのことを断腸の思いで、自分の意志で決断する覚悟が必要になる。
どうか、それだけは肝に銘じて欲しいとメイルは思っている。




ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
 
 
 
 
 
 

悔悟を超えて、介護のままに、「アル・パチーノ」のごとく!

 
独りの刑事が、正義のために戦い、一般の人々の厚い信頼を得る。
当然といえば、当然のことなのに、なぜか大変なことに思えるから、恐ろしい。
そして、警察官の鏡のような実績を上げ、警察学校の教材としても取り上げられるほどのreputation(評判)を得た、映画「insomnia(不眠症)」におけるLAPD(ロスアンジェルス警察)刑事、アル・パチーノ。
そのスーパーヒーロー的名声に嫉妬し、失脚させ、彼が逮捕した大物悪人たちを野に放ち、莫大な富みを得ようと画策する官僚型内部監査官が出てくるのも、また世の摂理。
刑事アル・パチーノには、同僚たちのごとく情けなくみっともなくワイロを受け取ったことはないが、その強過ぎる正義感から極悪強姦殺人犯の証拠を捏造した経験がたった一度だけある。
その狡猾な内部捜査官は、アル・パチーノの捏造を暴こうと、彼の周りをcut a deal(司法取引)で少しずつ追い込み、とうとう彼のパートナーの刑事にまで迫っていた。
自分の不名誉よりも、逮捕した悪人どもが釈放されることに憂慮するアル・パチーノ。
そんなある日、2人はアラスカで起きた少女暴行致死事件の応援に駆り出された。
ある種左遷への脅迫でもあった。
Halibut Fishing Capital of the world(世界のオヒョウ釣りのメッカ)に降り立ったアル・パチーノの雰囲気は、メイルにとって、今の自分の心境そのものだった。
メイルは、母に続き、父まで亡くしただけでなく、自分が半世紀以上住んでいた家まで失い、本物のデラシネ(根無し草)になった。
そして、途方もない物理的なストレスを背負い込んだ。
でも、一種の責任から逃避できず、毎日悶々と必死に暮らしている。
メイルも、まさにWelcome to Night mute(ようこそ、ナイトミュート、不眠へ)の心境。
それにしても、65歳以上が人口の22%強になった世の中、極く普通に生きていて、一体だれが将来、自分が、自分の家族が介護を受けるようになることを本気で想像するのだろうか?

アル・パチーノはアラスカに着くと同時に、そのパートナーの刑事から夕食を取ろうとしたときに、唐突と告白される。
「自分は家族がいて、刑務所に入るわけにはいかない。妻とも相談して司法取引に応じることにした」
それまでは、メニューを見ながら、オヒョウ、オヒョウ、オヒョウ、すべてがオヒョウ料理だって言っていたアル・パチーノが、パートナーに絶望し、
I lost my appetite(食欲がなくなった)」
と席を立つ姿に、メイルは自分自身を投影した。
人を信じて生きることの空虚、哀愁、絶望…。
荷物を持って部屋に向かうアル・パチーノの背中が、自分のようだとメイルは自惚れたかった。

それにしても、アル・パチーノの殺人犯罪捜査に対する卓見は、見事なものがあった。
Most homicides are solved by work done in the first 72hours(ほとんどの殺人事件は、72時間以内にやるべきことをすべてやった場合に解決される)」
そうだろうなだから、今、日本で起きている殺人事件の未解決が多いのは、仕方がないのかもとメイルは思った。
It is all about a small stuff. Small lies. Small mistakes. People give themselves away the same in misdemeanors as they do in murder cases. It is just human nature.(すべては些細なこと。小さなウソ。小さなミス。ヒトは殺人だろうが、小さな犯罪だろうが、同じしっぽを出すもの。それが人間の本質)」
今、日本で起きている殺人事件も、みんな同じなはずなのに…日本の警察はそんなことにも気づかないのかもとメイルは思った。
Good guys, bad guys. But a lot less public relations. It is simple.(善いヤツ、悪いヤツ。それは人間関係次第。とても単純)」
という地元警察署長の言葉も、メイルの心に深く残った。
Small things. The second you are about to dismiss something, you think about it, look at it again(小さなことでも。重要でないと捨てようとしていたことを2度は考え、見直す)」
メイルは、いろいろ反省することばかりで、考えさせられている。
確かに、いい関係になる人間とは話し合えるが、悪くなる人間とは極端に話しができない。

暴行殺人犯を追うアル・パチーノは、そのパートナーを霧の中で、犯人と間違えて射殺する(?)。
それが故意か、未必の故意か、自分自身でもよくわからない。
けれども、内部監査から狙われている以上、ついつい偽装してしまう。
その自責の念に吐くほど苦悩するタフなはずの刑事のアル・パチーノ。
そこにアラスカ独特のwhite night(白夜)が加わり、一睡もできず、どんどん衰弱してゆく。
そんなアル・パチーノに、なんと犯人から電話が入る。
一流な犯人が、パートナーを撃つ瞬間を目撃したというのである。
そして、同じ状況なんだから仲間として協力しあおうと提案してきたのだ。
Can't you sleep? …You get rid of your clock yet? Won't really help. When I first moved up here, I once went 5nights. Can you believe that? This is crazy light…Nothing as lonely as not sleeping. Feel like the whole fuckin' planet's deserted. Just you and me.(眠れないだろ?ベッドの横の時計にウンザリさせられてないか?本当の助けが欲しいだろう。オレが初めてここに来た時は、5日間は眠れなかった。信じられる?この狂ったような明りを。眠れないほど辛いこともない。この地の果てのような地球上で、オレとオマエだけがこうして話している)」
メイルにとって、この犯人の独白は、心の底から震撼させられた。
メイルは毎日、夜中もほぼ眠ることなく働き続けている。
今までは、両親のためだったが、今はその単なる後片付けのためでしかない。
人生なんて、そんなものと割り切ってはいるものの…もういいと思うときもある。
そんなアル・パチーノを尊敬して見つめていた地元の若い女性刑事が、そんな彼の気持ちをわかってか、わからずにか言った。
「A good cop can't sleep because a piece of the puzzle's missing. And a bad cop can't sleep, cause his conscience won't let him(いい警官は消えてしまったパズルの一個のために眠らず、悪い警官は良心の呵責で眠れない)」
メイルは、呆れるほど言い得て妙だと感じた。
それにしても、unspeakable sin(誰にも話すことのできない罪)を犯した中年男同士の会話に、メイルはすっかり降参した。
とりわけ、lousy writer(お粗末な小説家)でlonely freak(寂しいフリーク)の言葉は、危ないほどの共感があった。
Under pressure, you don't always see the wood for the trees(小事にとらわれて、大事を見失った)」
Suddenly you were free and clear. Did you think about it before that moment? It doesn't mean you did it on purpose, you know? guilt? Relief? I mean what would it be like if he wasn't there anymore. (突然、自由に身軽になった。そうする前の瞬間に、やろうとしたか、よくわからなかったんだろ?罪の意識か?ホッとしたのか?どちらにしても、彼がいなくなったらいいなって思っていたのでは…)」
We know how easy it is to kill somebody. That ultimate taboo. It doesn't exist outside our mind. (人を殺すのは簡単。究極のタブー、犯罪は人の心に宿っている)」
的確に人間の深層心理を突いていた。
その意味で共鳴はなかったが、メイルには、奇妙なほど犯行動機が納得できた。
I only wanted to comfort her. Hold her. And I kissed her, and got a little excited and…she started laughing at me. She wouldn't stop laughing. You ever had somebody laugh ay you, when you're like that. When you're really vulnerable? Laughing their ass off at you. Someone you thought respected you, ever had that happen? I just wanted to stop her laughing, that's all. I hit her. (オレは彼女を慰めたかっただけ。抱擁した。キスした。そうしたら、なんとなく興奮してきた。その時、彼女は笑い始めた。ゲラゲラ笑うのを止めよとしなかった。そんな瞬間に、一番傷つきやすい状態の瞬間に、自分が尊敬されていると思っていた人間から、オマエは笑われたことなんかなかっただろ?オレは彼女の笑いを止めたかっただけだった。そこで、彼女を殴った)」

やがて映画の中では、地の果てのアラスカで、犯罪捜査に憧れ、アル・パチーノを尊敬していた若い女性刑事が疑惑を感じ始める。同様にそれを感じる一度人を殺すことでただのカスになった犯人が、彼女を殺そうとする。そこに助けに来たアル・パチーノが犯人と撃ち合いになり、2人とも相打ちで死ぬ。
Please hang on(頑張って)」
とその若い女性刑事がアル・パチーノを介抱しつつ、絶対的証拠になる銃弾を棄てようとすると、アル・パチーノは、
No, you don't! Don't lose your way(ダメだ!信念をなくすな!)」
と言って、息絶える。
そのアル・パチーノの辞世の句は、そのままメイルの魂に突き刺さった。
まだ両親が死んで数ヵ月。
生れて初めて辛酸を舐めさせられている経済的問題で、信念を棄てるわけにはいかない。
生きているからこその何かを信じて、無様でも生き永らえるしかない。
そのためにも、まず自分の肉体をfreeにclearにするしかない。
「思いきって手術を受けよう」と、ようやくメイルは決心した。

インソムニアインソムニア
(2005/07/06)
アル・パチーノロビン・ウィリアムズ

商品詳細を見る


☆介護の重要ポイント25

これだけ社会貢献、チャリティーが叫ばれているのに、今年の介護福祉士への応募数は、かなり落ち込んでしまった。
現場でも、人材難が深刻化している。
なぜなのだろうか?
理由はいろいろに考えられる。
現状の社会福祉システムでは、働かせる側にも、働く側にも、明るい希望が全くないからに違いない。
いくら明るさを装っても、白夜みたいなもので、声ばかりで明るい未来のある、やりがいのある仕事だと語っても、空しいだけなのである。
そこを一切考慮していない現行システムでは、この老人社会で、ますますの自爆テロを増やすことだろう。
この国に関しては、管理する官庁からの改革が早急に必要だと言わざるを得ない。
そうしない限り、永久に改善されないと思うのは、最後まで介護とは人間関係でしかなく、実は、死をどこまで真摯に考えるかにかかっているからだと痛感する。
どちらにしても、賃金が圧倒的に安いうえ、休憩や休日も少なく、夜間や深夜にプレッシャーが高く、身体的にも負担が大きく、しかも社会的に評価が低いという矛盾の大きい、介護福祉士になることが、異常のように思われてしまう風潮を、早くなくす必要がある。





ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「ウディ・アレン」のごとく!

 
メイル・GIVEソン、これまた予期せぬカタチで、介護しなければならない最後の相手を失った。
本気で考えていれば、誰もが容易に予測できることなのに、これが人間の業なのか…。
自分勝手にエゴむき出しに、被介護者が急逝することなどあって欲しくないと、予期せぬ振りし誤魔化していたら、案の定、思いがけなく介護が始まった時と同じに、それはやってきた。
まさに、天網恢々疎にして漏らさず。
いくら運命を信じないメイルでも、さすがに何か得体のしれない力が加わっている気がして、滅入っている。メイルの真骨頂発揮である。
どうやっても、介護は悔悟を生むものらしい。
そう言えば、今年になって、むやみやたらと、介護疲れの放火無理心中の何と多いことか…。正直、決して他人事には思えなかった。
高齢化社会の現実を無視した介護システムの矛盾は、突然、鉄砲水や土石流になって家屋を流失させる…。
その何か得体のしれない力に、自画自賛や自己陶酔だけで、正面から戦いを挑むことが、いかに無謀で不遜なのか、イヤというほど思い知るのも当然かも…。
かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、吉田松陰の気持ちがよくわかる。
ともあれ、結果として、メイル自身、明日にでも被介護者として介護問題と関わってゆくしかない気がする。
心臓内科、消化器系外科、呼吸器外科、口腔外科、眼科、だいぶ予想より早くなるかも…。
そこで、意識しようがしまいが、出会いたくないのに出会うこの問題を、自分なりに追求しようと、メイルは、このブログを継続してゆくつもりである。

個人的には、「スコルピオンの恋まじない」のウディ・アレンのように生きられたらと夢見ている。
この映画は、うらぶれた勤続20年の保険調査員が、強行に社内改革を推進する社長に、結婚をエサに弄ばれている女と、「ジェイド・スコーピオン(まやかし?)」の愛の魔法によって、お互いが心を開き、真実の愛に目覚めるというラブ・コメディー。
ヒドイ女房に逃げられ、子どものいない孤独な初老男ウディ・アレン、旦那と一緒に逃げた女の名を寝惚けて呼び、愛人にされている社長には「結婚が前提でもなきゃ誰が貴方と寝る」と豪語する知的女ヘレン・ハート、笑うっきゃない子ども同士のような恋愛展開が、なぜかとても新鮮。
メイルは、デカパイ速記係やお尻をコーヒーブレークなしに振り続ける部下に、いつも気さくに声をかけるウディ・アレンのライフスタイルに憧れた。
「ランチをちょっと買ってきてくれ。チェリ−チーズケーキ、プルーンデニシュ、チョコバー、チョコレーズンを」
と、食べたいものを平気で頼めることに苦笑いした。
そして、アナログ人間のウディ・アレンを否定するかのように合理化を進める上司の女と、
「オランウータンより礼儀知らずのダメ男」
「口笛で車を止めるようなイヤな女」
という口ゲンカ。
やがて、同僚の誕生パーティーで、「ジェード・スコーピオン(サソリのヒスイ)」という催眠術マジックに、一緒にかかる。
すると、
「我慢のできない女」
「誇大妄想で女性恐怖症のバカボン」
と言いあいながら、その不思議な魔法の愛の力で、素直になり、
「初めて逢ったその時から恋に落ちていた」
と告白し、
「Make love to me here(ここでして)」
とまでいった瞬間、もう十分とその魔法を解かれてしまう(?)。
その帰りにカフェで、部下の若い女から、
「I hope someone talks to me like that someday(いつかあんな風にステキな愛の告白をされてみたい」
と言われ、
「一緒に帰って猫にエサでもやらない?」
「風邪ぎみなのでお茶を飲んで寝る」
「胸に薬塗ってマッサージしてやるよ」
「婚約指輪をくれる」
と口説くシーンに微笑んだ。
それから、どたばたの事件が起きるのだが、メイルの関心はそんなところになかった。
そして、宝石泥棒にあった被害者豪邸を調査中、そこのセクシーな金持令嬢と出逢い、意味深なチャットをする。
「うらぶれた調査員は探偵ゴッコ。私は気まぐれな人生」
「君はあのゴシップだらけのセレブ?」
「よく知ってるはね。太ももの苺マーク見る?」
「探偵ほどロマンチックじゃなくても、僕には、味がジワジワ出てくる魅力がある」
「じゃあ、口先だけでなく、証明してよ」
「人がいるから…」
「貴方はあの凄腕調査員?」
「狙った獲物は逃がさない」
「私もよ」
「いつも魅力的でいい体の男しか選ばないけど、貴方になぜか興味がわくわ…」
このやり取りに、メイルは勝手に希望を持っていた。
そして、このセレブの気まぐれ女はウディ・アレンのネズミの巣のような部屋を尋ねてくる。
そのコートの下は真っ裸。
それを見て、
「愛の行為の最中に死んでも、ボクの遺体は微笑んでいるだろう」
といった途端に、催眠の電話が入る。
ベッドに横たわり待っていた女に、
「悪いけど帰って!」
「何を言ってるの。気が狂ってるの?」
「せっかくだけど…」
「生れて初めて男のベッドから追い出されるなんて…」
「近くに来たらまた寄って」
「マンマミーヤ!(オー・マイ・ゴッド)」
と帰してしまったウディ・アレンに共感した。
そんな感じで、肝心な恋の本物の相手とのやり取りは小児的で、あまり印象がない。
ウディ・アレンが、その頑なな相手の女に、
「君は心でなく頭で考えるからダメなんだ。心は血、頭は脳細胞。血は体中を回って視野が広くなるけど、脳細胞はそこでじっとしているだけ」
と言ったことには、感動した。まさに言い得て妙だと思った。
そして、クライマックスに、ウディ・アレンがついに女に告白する。
「僕は近眼のドチビ。頭の抜け毛もヒドイ。でも、君を捨てたりしない」
「そんなことないわ。貴方は私の出会った男の中で、最高にステキで、ハンサムで、ブリリアントで、セクシーよ」

被介護を前にメイルは、生きている限り、周りの女性とそんな風に接し、女性からそんな風に言われるように、精一杯気を遣ってゆこうと考えている。
特に、介護士の人たちとはいい関係を作ろう。
機知と洒落で好かれよう。スケベ親父にならないようにしよう。
この映画のウディ・アレンが、今、メイルの目標である。
そう、いくらダニでも、正直なダニであり続けようと考えている。

こんな感じで、メイル独自の映画観で、介護を追求してゆくので、乞うご期待!

スコルピオンの恋まじないスコルピオンの恋まじない
(2006/07/19)
ウディ・アレン

商品詳細を見る





ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
 
 
 
 
 
 

悔悟、悔悟。そして、「パフューム」の新生児。

 
葬式って、一体何のために、誰のためにやるのだろう?
メイルは真摯に悩んでいた。今年になって、母親の死に直面し、それはより深刻になっていた。
父親や兄と真っ向から、母親の葬式をどうするかで対立したからだった。
結果として、父親の意向に合わせて、兄が母親の葬式を執り行った。
カタチよりも、気持が大切と考えるメイルには、それが納得できなかった。
メイルにとって、介護度5になってしまった母親を療養型介護老人ホームに入れてしまった段階で、心の中で、その儀式は終わっていたと言っても過言ではなかった。
本来なら、自分の手で最後まで母子として介護すべきだと確信し、悔悟の毎日を過ごしていたからである。
親の死を凝視することは、人間にとって重要な修養の機会であることぐらいは、百も承知している。
しかしながら、コミュニケーションが困難になったこと以上に、物理的な負担から、自らの手による介護を放棄せざるを得なくなった時に、精神的にその覚悟はできていた。
恐らく母親は、ほとんどの人間がそうであるように、一人で寂しくこの世を去って行ったに違いない。
メイルは、そう考え、忸怩たる思いで生活していた。
と同時に、物理的な都合上、父親も同じホームに入れていた。
そして、母親が死んだ後、父親が極めて元気なことに複雑な思いを持っていた。
それが、今度は、その父親の葬式のことで、兄と再び対立するとは、哀しいことに全く予期していなかった。
母親が死んで、ぴったり半年後、父親が急逝したのである。
メイルは、正直、「もう少し、待ってて欲しかった。母親の心の整理がつくまで、生き続けていて欲しかった」と、父親の亡骸にそっと呟いていた。
精神的にも、肉体的にも、経済的にも、何の準備もしていなかったからだった。
だから、突然、兄から、「今度はオマエのために父親の葬式をしてやるから、オマエがその準備をしろ」と言われ、唖然としていた。
全くどういう意味なのか、理解できなかった。
結局、葬式とは、先立つ人間に対し、目一杯の配慮を怠った人間が、その自己弁護のために行う欺瞞行為、情けない言い訳そのものに他ならないと、メイルは再認識している。

メイルは、なぜか穏やかな父親の顔を見つめながら、突然、映画「パフューム」で、主人公である《ジャン・バティスト・グルヌイユ》が、その母親から産み落とされた瞬間のことを思い出した。
恐ろしいほど不衛生極まりない18世紀のパリのセーヌ川沿岸の魚市場、その大量の魚の腸の上で、彼は産声を上げた。それに驚いて、勝手に5人目の死産と決めつけていた母親が逃げた。そして、母親は、子殺し犯として縛り首になった。
この新生児の演技(?)に、メイルは生命の摩訶不思議さを感じ、驚嘆させられた。
何が何でも生きてやるという決意が、すでにそこから感じたからである。
それを思い出し、メイルは「これで次は間違いなく自分かな?」と感じていた。
「本当に、人間の命って、何なんだろう?」、「何と儚い命なんだろう!」、「何があっても、生きている限り、積極的に生きてゆくしかない」と改めて自問自答し始めていた。

それにしても、「パフューム」という映画には、強烈なインパクトがあった。
その悪臭だらけのパリで生まれた《ジャン・バティスト・グルヌイユ》が、孤児院に売られる。そこで子どもたちにすぐに殺されそうになる。明らかに、何かが他の子どもたちと違うからだった。
そんな雰囲気を醸し出していた、この新生児の演技(?)は、本当に出色だった。
特に、一人の子どもが指を近づけた時、それをおもむろにその新生児が掴んだ瞬間、メイルは鳥肌が立った。
5歳になると、彼は、その嗅覚における天才的才能を示し始める。温かい木、濡れた石、冷たい水、何キロ先の匂いまで、嗅ぎ分けられるのである。
13歳になると、7フランで、なめし革職人に売られ、1日15〜16時間働かされる。
その汚くて臭いパリでは、当然、香水が人気になり、「アモール&プシュケ(愛と精霊)」が大ヒットする。
それで、《ジャン・バティスト・グルヌイユ》は、香りがお金になることを知り、ダスティン・ホフマンに弟子入りする。
そして、命の源は香り。香りは音楽と同じで、ヘッド(頭)は第一印象、ハート(心)は持続性、ベース(土台)は残り香で、そのハーモニーが大切なことを学ぶ。
けれども、愛を知らない《ジャン・バティスト・グルヌイユ》は、せっかく出合った赤毛の色白の少女の匂いに陶酔するが、彼女を殺した時に、その匂いが消えてしまったことにショックを覚え、匂いを捉えることを追求し始める。
やがて、彼は、死んだ石の安らかな匂いを感じ、至福を覚え、自分の存在を気にする。すると、自分に独自の匂いがないことに気づく。それは、生きた証がないということで、誰の記憶にも残らないという恐怖に繋がる。このままでは耐えられないから、自分の存在を示す、自分の特別な匂いを創ろうと、決意する。それが、永遠に続く愛の香り、金や恐怖や死より強い力、人類の比類なき愛を呼び起こすものだった。
《ジャン・バティスト・グルヌイユ》は、自分が何かを感じる女性まで含め、何と12人の女性を殺して、ついに究極の香りを創り上げた。
その香水によって、本来なら死刑囚でしかない彼が、無敵の力を持ったエンジェルになった。ただ、その香水の力を持ってしても、彼を、人並みに愛し愛される人間に変えられなかった。
そして、「そんなものに用はない」、「世の中がなんだ」、「香水も自分も消えうせろ」と気付いた彼には、そんな究極の香水も、結局、何の意味もなさなかった。そこで、生まれて初めて、彼は愛のある行動を取った。つまり、自殺したのである。
どちらにしても、創造のためなら、人殺しまでが許されているかのように思える、不可解な映画だった。

ただ、その生まれたばかりの目の見えないはずの新生児が、何とも言えない表情で、人間の持つ業を知り尽くしているようで、世の中の何もかもを理解しているようで、それでもなお、そんな現実社会で生きてゆこうとしているようで、メイルの心を捉えた。
メイルの父親も、母親も、兄も、そして自分自身も、世界中の誰もが、あんな風に生まれたに違いない。
この世に生を受けるということは、限りなく生々しくて、リアルなもののはずである。
そして、ほとんどの人が、あの新生児のように、生きることへの強い執着を持って生まれてきたはず。
それなのに、やがて、誰もが死ぬ。
母親のように、そして父親のように…。
だからと言って、最後だけ、必要以上に華美に、虚飾的に、格式ばって、お清めや故人の願いと称し、全く面識のない親戚まで集まってワイワイガヤガヤ酒を呑み、生ものを食べ、笑い合う、嘘八百のような葬式が、なぜ必要になるのか、どうしても理解できない。
それのどこに、死者への愛惜の念があるのか、わからない。
鎮魂とは、最初から最後まで、それぞれの心の中で完結させるものだと、メイルは今なお信じている。
どうあれ、メイルは、ついに両親を失った。


パフューム スタンダード・エディションパフューム スタンダード・エディション
(2007/09/07)
ベン・ウィショー.レイチェル・ハード=ウッド.アラン・リックマン.ダスティン・ホフマン

商品詳細を見る


☆介護の重要ポイント23
メイルは、結果として、介護することはなくなり、悔悟だけが残った。
自分が被介護者になるのも、時間の問題かも知れない。
そう考えて、とても心配していることがある。間違いなく、今、介護業界は人材難。猫の手も借りたいのが現状のはず。
その意味で、インドネシアから看護士と介護士1,000人を受け入れることが決まったことは、素直に喜ばしいことである。
そういうことこそ、どんどんグローバル化していいと思っている。
メイル自身、介護体験を生かし、コミュニケーションがすべてと痛感しているので、そっとインドネシア語の勉強をしようと決心している。






ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
 
 
 
 
 
 

解悟、解悟。そして、ミシェル・ファイファー。

 
どんな人間でも、基本的に孤独に毎日生きている。
そして、どんな人間でも、何らかの親の問題を背負って生きている。
父親に逃げられた母親が、娘が男とうまくいかず男性不信に生きているのは、自分のせいとその責任を感じている。その母親に、
「確かに私は幸せに暮らしていない。ママは何も悪くない。ママのせいじゃない」と言いつつ、
都会でウエイトレスをする36歳の女。
母親に捨てられ親戚をたらい回しにされ、それでもひたむきに生き、刑務所に入ったことで人生をやり直そうとしているコックの46歳の男。
その二人が様々な紆余曲折を経て、心を打ち解けあうようになるまでのラブストーリー。
「フランキー&ジョニー」という題名の映画のミシェル・ファイファーに、メイルは感激している。
故郷からNYに戻るバスの中での涙の悲哀。
「バカな男を信じるくらいなら、ビデオを観ながらアイスクリームを食べるほうがいい」という達観。
年老いた同僚の突然の孤独な死に、自分の将来を見て、葬式での哀感。
自分の部屋から見る人々の日常への哀愁。

「人を愛するなら、自分の気持ちを押し付けないで。何があっても、無条件で愛して。人の何がわかるの?」
「あれを持ってるの?戸棚の奥にあるわ」
「愛してるから、結婚しよう、子どもを作ろうですって、相手の気持ちも考えないでどうしてそう言えるの?」、「誰だって一度は死のうって考えたことはあるわよ」
ミシェル・ファイファーが言うどのセリフも、心に傷を負いながらも人を愛そうとしている女心が微妙に表現され、出色の演技だったからだ。

メイルは、一人のウエイトレスの老女が入院して、ミシェル・ファイファーを含む3人が見舞いに行った際、
「私も、こうして一人ぽっちで、死んでゆくのだろうか?」と、
その孤独を病院で再認識するところに、そして、その彼女の葬式で、
「こんな小さな遠い教会で、参列者のほとんどいない悲しい葬式…」とその儚さを認識するところに、今の自分の心の声を見つけていた。
「父親もホームでどんな気持ちでいるのだろうか?」、「もうすぐ来るだろう死をどう考えているのだろうか?」、「自分だっていつどうなるかわからないのに…」と、何とも言えない複雑な無力感に、メイルは苦悩している。

父親は、もうすぐ90歳になるのに、なぜか自分の葬式に呼びたい参列者リストを作成していた。しかし、その友だちたち、兄弟のほとんどは、すでに他界していて、こんな時代らしく親戚たちも、とっくに疎遠なのである。
「父さん!なぜ、そんなに葬式にこだわるの?」
「そんなこと言ったって…」
「葬式屋は、慇懃無礼で、流暢で好きじゃないし、葬式なんて、坊主丸儲けにさせるだけだと思うけど…」
「オマエは、そうかも知れないけど…」
「じゃ、もう一度、その呼びたい人のリストだけでも、とりあえず作り直したら」
そう言ってしまって、メイルは滅入っていた。
「ミシェル・ファイファーなら、どうしてピクニック気分で生きられるの?何でそんな人の気持ちを考えないことが言えるの?自分が勉強したからって、どうしてそんな人を傷つけることが言えるの?変わった人だと思ったけど、残酷な人なのね、と、きっと物を投げてくる」と、メイルは苦笑した。
そうなのである。
人を思いやるということは、自分の考えを、感情を、絶対に押し付けてはいけないのである。
そんな愛を強要できないことなど、百も承知していたはずなのに…メイルはすっかり自信喪失し、憔悴している。
ミシェル・ファイファーが、相手のアル・パチーノに、
「どんなときに死にたいと思うの?」と訊いた。
「孤独感から女性のパートナーを探して、それなのに肉体的に関係するとそこに嘘や打算が生まれ、一番大切な精神的に繋がれないと感じたとき…愛の可能性を信じたいのに、それがダメだと感じたとき」と、
アル・パチーノが応えたのに、
「まさに、自分の勘違いそのものじゃないか…」
と、憤慨していたメイルだったのに…。
「父さん!ゴメン!」
メイルは、今、それも心の中でしか言えない状態である。

どちらにしても、この映画でポイントになったセリフが、今、メイルの脳裡をピンボールのように跳ね回っている。
bark up the wrong tree(勘違い、オカド違い)
ミシェル・ファイファーまでに、そんな言い方をしたことがなかったのに言わせた、このセリフは、もしかすると、メイルの残りの人生訓になりそうである。


恋のためらい フランキー&ジョニー恋のためらい フランキー&ジョニー
(2007/09/21)
アル・パチーノ

商品詳細を見る



☆介護の重要ポイント22

メイルは自分の介護すら満足にできない状態なのに、友人から、終末ケアに適した信頼のできる病院、施設を紹介して欲しいと依頼され、新たな悩みになっている。
これも、いざ探すとなると、患者の身になってケアしてくれそうなトコロがないのである。
これこそ、メイルにとっても、明日は我が身。
ありとあらゆるネットワーク、コネクションを駆使しているが、本当に理想的なホスピスや終末ケア病院がないのである。
誤解があるといけないので、的確に言うと、変更された介護保険システム、後期高齢者医療保険システムのことまでかかわり、維持が難しく、ここも人材難が影響している。
つまり、純粋に天職として、介護や医療に携わる人が、仕事に没頭したり、そこそこの生活をするのが困難な状況なのである。
メイルは、正直、ショックで、茫然自失。
これが世界一の長寿国家、日本の現状だとは…。









ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
 
 
 
 
 
 
プロフィール
 

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
bnr-tosenbo-kaigo3.jpg

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
PR
 
 
 
 
 
 
 
QRコード
 
QRコード
 
 
 
 
 
 
ブログランキング
 
 
 
 
 
 
 
ブログ内検索