介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「ブラッド・ピット」のごとく。

 
メイルは、毎日、人間として、どう生きるのか、何ができるのかと必死。
それこそ、涅槃、倦怠、絶望、希望、どんな色の蝶も、脳裏の中の野原を飛び交うこともない。
だからといって、残りの生きられる時間を考え、性急になるかと言うと、いっこうにそうならない。
かえって、どこまでも必死でありながら、ゆっくり、じっくり考えるようになっている。
時々、微笑みながら、最後まで美しくありたいと、模索し続けている。
メイルは、美しい生き方があると本気で信じている。
それは、理屈抜きに感じるもので、実際、それを体現している人間はいる…。

映画「A river runs through it(リバー・ランズ・スルー・イット:川はその中を流れる)」のブラッド・ピットもその一人。
メイルは、そのブラッド・ピットの何とも言えない悲哀に満ちた笑顔をいつも意識している。
到底ブラッド・ピットのようには見えなくても、その笑顔こそが人間の顔だと確信している。
特に、兄が本気で女性を愛していることを告げたときに、「川にはまだ他の魚がいるんだぜ」と応えたときの表情、兄が大学教授への着任を告げたときに、「誇りに思うよ」と応えたときの表情が、強烈な印象として残っている。
それ以上にこのブラッド・ピットを最近思い出すのには、理由がある。
なぜか、コタツの上にのせるデコラ板の夢を見るからである。
それには、真中に大きな割れ目が入っている。
メイルは、高校入学前に、人生でたった一度だけ本気で殴り合う兄弟ゲンカをした。
手加減する兄に対し、力の限り殴りかかったメイルは、たちまち兄を血だらけにした。
ブラッド・ピットと全く同じだった。
映画と同じように母親が止めに入ったが、同じように跳ね飛ばされた母親が言ったことは全く違った。
「私の足が滑ったのよ」とブラッド・ピットの母親が叫んだのに対し、メイルの母親は「メイル、オマエは実の兄を殺そうというの」とメイルを大声で罵った。
そして、母親は自分が吹き飛ばされて割れたコタツのデコラ板を、絶対に捨てようとしなかった。
そのせいなのか、ブラッド・ピット兄弟は、どちらが強いか言い合い、疑問に答えが出ないときは若者は蒸し返すことがないという原則に乗っ取って仲直りしたが、メイルは両親の介護で兄と本格的なケンカになり、兄を失った。
実際、メイルの兄も、ブラッド・ピットの兄同様、社会的経済的成功者。
それに反して、両親を「亀田病院」に入居させたいと懇願したメイルは、ブラッド・ピットのようにラスベガス(?)の「ロロ」に通って、社会的経済的敗北者。
人間は誰もが基本的に迷える子羊…。
神を知らない貧しい者は不幸で、神を知る貧しい者はこの世のプリンス、キングと信じることのできるブラッド・ピットの兄と父親のような人間にとっては、ブラッド・ピットのような生き方はジェラシーの対象でしかないのかも…。
けれども、「川は5億年前から流れ、雨が地を固めて作った岩を濡らし続けている。その前から岩の下には神の言葉がある。川の流れに耳を澄ませば、その神の声が聞こえそうになる…草原の輝きはもはや戻らず、花の命は失われても、後に残ったものに力を見出そう。本能的な思いやりの中に、苦しみの末の和らぎの中に、永遠なる信仰の中に、生きるヨスガとなる人の心、そのやさしさとその喜びに感謝しよう。人目に立たぬ一輪の花も、涙にあまる深い想いを我にもたらす…」と、ブラッド・ピットの兄や父親のように生きることができたら、それはそれで幸せだとも思えるが…。
どうあれ、ブラッド・ピットのような存在は、完成された美しい芸術品のようなもので、この世を超えた空間に属していて、人の世は芸術ではないのだから永遠の命を持たないものでしかなかった。
メイルは、そんなブラッド・ピットのように、さりげなく人を思いやり、神のリズムを超越し、自分のリズムで大自然の何かを感じながら生きたいと願っている。

メイルは、一つだけそんなブラッド・ピットに羨望していることがある。
両親より早く死ねなかったこと。
初めてこの映画を観たときには、あれだけブラッド・ピットのように両親より先に死んで、母親を黙らせ、父親に「他にわかっていることは?」と兄に尋ねさせ、「手の骨がほとんど壊されていた」と兄に答えさせ、父親に「どっちの手?」と言わせてやりたいと思っていたのに…。
そして、「愛する者が苦しんでいるのを見て、神に問う。愛する者を助けたいのです、何をすれば? 本当に助けとなることは難しい。自分は何を差し出すべきか、あるいは差し出しても相手が拒否してしまう。身近にいながら腕の間をすり抜けてしまう。できるのは愛すること、人は理屈を離れ、心から人を愛することができる」と父親と兄にわからせてやりたかったのに…。
そのことは今なお悔悟だが、今になっては受け入れて生きるしか道はない。
メイルの両親もすでに亡くなり、自分はまだ生きているからである。
だからこそ、今まで以上に少しでも美しく生きたい、短くても心美しくありたい、いつまでもブラッド・ピットのようであって、not funny(オモシロくない)と言われるブラッド・ピットの兄や父親のようにはなりたくないと欲している。
それだから、モンタナの大自然の中で、フライ・フィッシングをやりながら、「谷間にタソガレが忍び寄ると、すべてが消え、あるのは私の魂と思い出、そして川のセセラギと4拍子のリズム、魚が川面をよぎる期待。やがて、すべては一つに溶け合い、その中を川が流れる…その岩の下にある言葉のうち、いくつかは岩自身の言葉だ」となどとブラッド・ピットの兄のように絶対に感じたくない。







 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「アラン・ドロン」のごとく。

 
メイルは、人生で最大の岐路に立たされている。
両親が立て続けに他界し一年、ようやく自分の人生を顧みる余裕ができた途端、どこにも自分の人生の原型が見つからない。
間違いなく親孝行してこなかったという自責の念、悔悟が大き過ぎたせいかも知れない。
ゴム風船を夢中に膨らませ続けるように、やみくもに力を入れた介護の無理が、経済的破綻を招くことを一度も考えなかったツケだった。
パーンと風船が破裂した後には、ゴムの破片が無残に残るだけだった。
それでもなお、メイルは絶望も焦燥もしていない。
誰に何を言われても、経済的理由で介護を放棄するくないなら、人間を辞めるべきと断言できる。
生きる者はやれることをすべてをやるのが人間であることに、間違いはない。
その結果、否応なしに観念する必要に迫られてもである。
もともと北極の氷のように溶け始めていた自分の微かな財は、二人同時介護という超現実によって、これまた北極海の氷のようにほぼ溶け切ろうとしている…。
メイルは、生まれて初めて、極端な耐乏生活をせざるを得ない状況に追い込まれている。
だからと言って、世の中に大勢いるヒトたちのように、安直に自暴自棄になるわけにもいかない。
陰になり日向になり自分を支え続けてくれた人たちへの義理を、感謝を忘れるわけにはいかないからである。
「そのプライドを捨てたら人間じゃない。その報恩を忘れたら死ぬ価値も生きる価値もない」
メイルはますますそう信じている。
と同時に、介護に直面して初めて、世の中で言われている通り、「人間は独りで生きているのではない」と改めて痛感させられている。
しかしながら、現実の厳しさもまた同様。
愛だけで生きていける世界など、どこにもない。
あれほどファッションにプライドを持っていたメイルが、今は着た切りスズメで、無精ヒゲを生やし、タバコを吸い続けている。
食事を減らしてまで、タバコを買い続けている。
しかも、タバコをどんどんキツイものに戻し、昔のようについに「ゴロワーズ」のジタンにしている。
そして、壊れたバイクのマフラーのようにモクモクと煙を吹き出しながら、アラン・ドロンをいつも思い出している…。

映画「高校教師(Le Professeur)」のアラン・ドロンのタバコの吸い方は、メチャクチャ印象的。
まだ20代そこそこの大学生だったメイルが、その映画で影響を受けたのが、「ゴロワーズ」とファッションだった。
ラウンドのセーターにウールのコート、クシャクシャにして持って歩くのが両切りの「ゴロワーズ」が、すぐにメイルのお気に入り、定番になった。
ところが、メイルの母親がその強烈なクセのある臭いを嫌がった。
自分だってタバコを吸っていたくせに、「そんなに臭いタバコを何で吸うのよ…カラダに悪いに決まっているわよ」と口うるさかった。
かつて同じ両切りの「缶ピース」を吸っていて、健康のために禁煙したメイルの父親までが、「そんな臭いタバコ止めた方がいいぞ」と言うほどだった。
今考えると、戦争でイヤな気分をたっぷり味わった両親にとって、独特の舶来の臭いが生理的に嫌いだったのかも知れない…。
それにしても、アラン・ドロンの喫煙は凄まじかった。
今、世界中で肩身が狭いタバコ会社が、その当時、涙を流して大喜びしたに違いない。
薄汚れた格好のうらぶれた雰囲気の中年高校臨時教師、アラン・ドロンは高校に行き教壇に座るやいなや、生徒を放ったらかしにしたまま、タバコの吸い放題…。
その様子はアンニュイどころか、デカダンの極み、まさにヤケクソ。
そこに、メイルは心から共感を覚えていた。
映画そのものは、イタリア語の原題「La prima notte di quiete」が示す通り、 「安楽の最初の夜」、「死後」が奏でる、アドリア海に面した北イタリアの小さな田舎町リミニという海辺の町を舞台に描かれた哀切極まりない悲劇の愛のラブストリー…。
過去に従姉妹の少女を16歳で亡くし、別の男から略奪した妻との愛に冷め、賭博場に通い詰めるアラン・ドロンが、複雑な家庭に育った高校生美少女と激しく燃える恋に落ちる。
その美少女も高校生とは思えない衝撃的な生き方をしていた…。

メイルには、ちょうどそのころ、アラン・ドロンが愛した少女のようなガールフレンドがいた。
しかも、メイルの彼女も高校生だった。
そのうえ、そのガールフレンドには、映画と同じに「もう二度とウチの娘に会わないでちょうだい」とメイルに狂ったように叫ぶエキセントリックな母親がいた。
母子家庭であるがゆえに、彼女の母親には、ヒッピーのような大学暮らしをしていたメイルなど眼中になく、まさに映画同様リッチな意中の娘の相手がいたからだった。
そのような打算的な女性の言動には、一切の躊躇いも同情もなかった。
彼女の母親は、何とメイルの母親に直談判した。
「お宅のバカ息子、いい加減に諦めさせてください。ウチの娘には、もっとちゃんとした彼氏がいるんですから…」。
これには、今までガールフレンドに関して何一つ言ったことがなかった、メイルの母親がキレた。
「メイル。彼女自身がいい娘なのは、私も知っている。遊びにくれば、ちゃんと受け入れてあげている。
それに、彼女のオマエへの気持ちもわかっている。でも、もうそういう話じゃないわ。彼女とはつきあうのだけは止めなさい」…。
黙ったまま臭いタバコを吸い続けていたメイルが家を出たのは、翌日だった。
「愛してる」と一方的に言ってきたのは彼女の方だったから、納得いかなかった。
そして、「生活費を作って送金する」と彼女に誓って、メイルが向かったのは、海辺の有名な温泉街だった。
その間に、彼女は母親の命令で、まだ高校2年生だったのに、母親の意中の男と結婚してしまった。
それを知らされたメイルは、何もかもがアラン・ドロンだった。
メイルの青春の1ページそのものだった。
以来、メイルは、アラン・ドロンが愛した少女の母親のようなタイプの女性、アラン・ドロンの妻のような女性を選んで、つき合った。
アラン・ドロンになったつもりで、自己陶酔していただけだったのかも知れないが、どこかで復讐している気持ちもあった気がする…。

どちらにしても、タバコの吸い方だけはそのアラン・ドロンの影響を間違いなく受けた。
これだけの禁煙ブームなのに、これだけタバコ代にも窮しているのに、今なお、メイルが酷いチェーンスモーカーであることに変わりはない。
心のどこかで肺ガンを心配しながら、「アラン・ドロンのように若い女性と恋に落ちることなど一生ないのだろうな」と苦笑している。
けれども、すべての夢を棄てたわけではない。
生きている間に、フェデリコ・フェリーニの故郷であるこの映画の舞台、アドリア海に面した北イタリアの小さな田舎町リミニに何が何でも行ってみたいと考えている。
なぜなら、メイルが家出して住み込んだ海辺の温泉街とあまりにも違う風景だったから…。
だからこそ、気になるセキに悩みながら、メイルは「母さん、父さん、それまではまだ話に行きたくないよ」と小春日和の空を見て思っている。
「さあ、そのためにも早く義理を返さなきゃ…」
メイルは、強く決意してもいるのだが…。








































 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「アンディ・ガルシア」のごとく。

 
メイルは、久し振りに自転車に乗った。
30年振り? いや40年振りか? すぐに思い出せないことに、ブルーになっている。
運動不足の解消にもなるからと、なかば強制的に乗せられている。
それが、父親と同じ歳のお世話になっている老婦人のアドバイスだから、従わざるを得ない。
しかも、彼女自身が足を悪くし自由にならなくなってきていて、足を動かすことの大切さをイヤというほど痛感しながら、「運動しなければ、ダメよ。カラダが弱るだけでなく、心まで弱くなってしまうから」と切実に言うから、何も反論できない。
それにしても、自転車を漕ぐのは、辛い。
それ以上に、恐い、半端じゃなく恐い。
狭い住宅街の道路を、息を切らしてサドルを左右に振らして、懸命に進んでいるメイルのすぐ横を、立て続けざまに車が何台もかすめるように追い越してゆく。
そして、誰一人としてスピードを緩めようとしてくれない…。
ついこの前まで、メイルは車の中から、自転車で交通ルールを無視し、傍若無人に無謀運転するヒトたちに、「自転車もクルマ。ちゃんと交通ルールを守れ」と心の中で叫んでいたことを思い出し、複雑だった。
そして、時々、「ここは日本。中国じゃない」と、実際に声を上げていたことまで思い出し、また父親のことを思い浮かべた…。

母親が2度目の入院した直後、メイルは父親に詰問しなければならない羽目になった。
父親の食事の援助をしてくれていた介護士から、苦情の電話を受けたからだった。
彼女の話によると、「父親が勝手に自転車で買物に行ってしまうので、規則上困る」ということだった。
仕方なく、メイルは父親と面と向かって話すことになった。
母親のことでショックなことは百も承知していたので、できるだけ小言を言わず、目をつぶろうと決めていたので、あえて普段余計なことは話さないようにしていた。
以前、偶然に父親の自転車の乗り方を目撃したことがあったので、ことさらだった。
例外でなく、メイルの父親の自転車運転も、年老いた老人男のメチャクチャ乱暴なものだった。
道路の右側と左側を後方を見ることなく行ったりきたり、車道に出たり、信号があるのに手前で道路を突然横断したり、それはどこから見ても、ロシアンルーレットでしかなかった。
「父さん、また自転車乗ってるんだって?」
「乗ってないよ」
「ほんと? ウソついたらだめだよ」
「ウソなんてついてないよ」
「それならいいけど…父さんは介護度2の認定だから、買物介助になっていて、独りで買物ができないことになってるんだよ」
「わかってるよ。だから、買物になんか行ってないよ」
「わかった。わかった…ところで、居間に置いてあるテッシューの箱の束はどうしたの?」
「スーパーで買ってきたんだよ。だって、その辺で買うより120円も安いんだよ。オマエはわかんないんだろうけど、年金暮らしは大変なんだよ。少しでも節約しなきゃ。それに、テッシューはスーパーで買うように母さんから、言われているから…」
メイルは、その言葉で、それ以上言うのを止めた。
介護度5の母親はもう二度と父親に、「スーパーに買物に行ってきて、お父さん」とは言えるわけがなかったからだった。
もしかしたら、父親は買物に行く感覚などなく、母親との暮らしの継続をそうやって夢見ていただけだったのかも知れない。

メイルは、映画「NIght falls on Manhattan(マンハッタンに黒い闇が広がる:邦題、NY検事局)」のアンディ・ガルシアの気分だった。
NYニューヨーク市警の警官の子で、聖職者を目指して聖ジョーンズ大学を卒業したのに、父親と同じ市警の警官になり、苦労して検事補になる。
途端に、我が国がいくら後を追っても追いつけそうもないUSAのニューヨークの麻薬禍、そして、その金にまつわる根深い市警警察官たちの汚職、自分の父親が麻薬密売の元締めを逮捕しようとして撃たれ瀕死の重傷を負ったことから、そのどす黒い警官汚職事件に巻き込まれる。
そして、「knowing street(庶民を知っている)」ということで、その事件の担当になる。
アンディ・ガルシアは入院している父親を訪ね、その報告をする。
そのとき、「『Need it(さあ、やれ)』という自分にだけ言っていた父親の口癖が、いい言葉だ」と語りかける。
メイルと父親の間には、そんなものは何もなかった。
アンディ・ガルシアの父親と違って、キャッチボールのときも、試験のときも、黙って促すだけだった…。
そのうち、汚職嫌疑が父親の相棒にかかる。
正義感の強いアンディ・ガルシアは、父親を疑い、父親を母親の墓で詰問する。
父親は自分の息子に疑われるショックを隠せないまま、死んだ母親に無実を誓わせられる。
やがて、父親の相棒から司法取引を相談されるが、アンディ・ガルシアは、父親の目の前で、けんもほろろに断るだけでなく、その相棒を糾弾する。
そんなアンディ・ガルシアを見て、父親は告白する。
「俺は相棒がお金を受けとっていたことは本当に知らなかった。俺は受け取っていなかったが、安月給の警官にとって、全員でたったの60万ドルの賄賂だ、誰が断れる。世の中には、医者、弁護士、ゼネコンのヤツらが、他人を犠牲にして、大儲けしているじゃないか…。オレも、俺も法を犯した。期限が失効していた逮捕状を、どうしても自分の手で捕まえたくて、偽造した。37年間の警察官暮らしの人生で、最大の捕物だと思ったからだ。でも、それでお前に迷惑をかけるわけにいかない。自首する。とっくに、首になっていい歳だ。お前がそれを黙っていられのないなら、仕方ない。もうこんな世の中についていけない」…。
アンディ・ガルシアが、「そんな問題じゃない。これがわかったら、あのクソッタレは放免されてしまうんだ」と、父親の手を握ろうとすると、カラダをビクンとさせて拒む。
このシーンを見た瞬間、メイルは全身がビクビクンと震えた。
父親に向かって、メイルが怒ってものを言うと、父親が同じ反応をよくしていたからである。
「ダメだよ、父さん。母さんが悲しむよ…。もう自分も死にたいとか、こんな風に母さんがなっちゃって、もうどうしていいかわからないとか、そんな投げやりなことを言っちゃダメ」と言って、「ネエ、父さん」と肩に触れようとすると、そっと避けるのだった。
そのたびに、メイルは「いけない。いけない。本気で真っ向から言っちゃいけない」と内心反省していたのだが、どうしてもすぐ言ってしまうのだ…。
それにしても、そんなアンディ・ガルシアの父親の対応に、メイルは自分の父親をイヤといほど投影させられ、苦笑するしかなかった。

この映画で、メイルが目からウロコの気持ちにさせられたところが、2回ある。どちらも敵対しているはずの弁護士とのサウナ会談。
1回目のサウナ会談では、アンディ・ガルシアが「何であんなクズの弁護を引き受けたの?」と質問したときの弁護士の解答。
「本当の目的は、麻薬社会の撲滅。そのためにも、汚職警官を根絶したい。私だって、あんな若い麻薬密売人のクズには、ハラワタが煮えくり返る。時々、あんな世代の連中はみんな見捨てて、永久に刑務所に放り込んでやりたい。15歳の娘が麻薬で死んで、人生は変わった。君が地方検事になったら、汚職警官の追及をしてくれ」
「わかった。for ever(徹底的にやる」
「for ever? 君はロマンチストだな」…。
メイルはこのやりとりを見て、我が国の社会派なる情けなくてみっともない弁護士にこの映画を見せたいと思って、溜息していた。
2回目のサウナ会談では、父親をかばうために、それ以上に麻薬密売人を放免させないために、自分の正義を裏切ったアンディ・ガルシアが「もう地方検事を辞める」と言ったときの弁護士の解答。
「物事は思うほど単純じゃない。私はperfect(パーフェクト)じゃない。欠点だらけだ。君はパーフェクトなのか?」…。
メイルは、アンディ・ガルシア以上にパーフェクトじゃないのに、なぜ自分のこれだけ年を取った父親をパーフェクトにさせようとしてしまったのか、残酷な自分を深く反省している。
アンディ・ガルシアでさえ、白黒はっきりしていることはともかく、グレーな部分でどう物事に向き合うかが大切と気づいているのに、どうして死ぬまでシャキッとさせようとしてしまったのか、自転車に乗りながら、今、再び後悔している。
そして、もしかして父親は自転車に乗って轢かれて死んでしまいたかったのかもと、初めて感じている。





 
 
 
 
 
 

孤独な悔悟死? 「大原麗子」に、「山城新伍」に合掌!

 
メイルは、今、居候生活をしている。
こんな時代にふさわしく、オフィスごと恥を忍んで、人様の厄介になっている。
そして、お世話になっているついでに、規則正しい食事まであてがってもらってしまっている。
その食事がメイルの口に合っていて、毎日、感激してしまっているから、余計に心苦しい。
精確に言えば、あまりにもの感謝の気持ちで、どう恩返しすればいいのかと苦悩している。
それはそうに違いない。
自分の母親と同じ歳の老婦人の真心のこもった手料理なのである。
どれもこれも自分の母親が作ってくれたような味つけで、涙を零しそうなくらいの美味を堪能させてもらっている。
メイルは、いくら思い出そうとしても、最後に母親の手料理に舌づつみを打った日を思い出せない。
それが何だったのかも思い出せない。
7年以上の歳月は経ってしまっている気がするが、全く思い出せない。
それでも、母親がよく言っていた「居候、三杯目はそっと出し」という言葉を思い出し、必死でお代りをしないようになんとか努力している。
そして、食事をふるまわれながら、「母さん、わかってるよ。心配するなよ。テーブルマナーは守っているし、がっついたりしていないし、一番気にしてるだろうお礼も必ずするから…」と、メイルは母親にそっと誓っている。
それから、「自分できちんと母さんが恥かかないほどの恩返しをするから、安心していて…。だから、まだ絶対にそっちに行かせないで、後生だから…」と、メイルは母親にはっきり約束するとともに懇願している。
ただただ見栄っ張りで負けず嫌いだったメイルの母親は、今ごろその心配で、メイルのように眠れない夜をそっちで過ごしているに違いない。
それにしても、カボチャの煮方はどうしてあそこまで同じになるのか、メイルはあれほど好きだったカボチャの煮物を食べるのをためらいがち。
その一方、最近のメリハリのない不純な天候を心配してもいる。
決して口には出されていないが、メイルの母親がそうだったように、こういう天候ではカラダの調子がよくないに決まってるはず。
「急がなきゃ、とにかく急がなきゃ」
メイルは始めている新たな仕事を早く成功させようと焦っている。
そんなメイルの気持ちを知ってか知らずか、不気味な地震が立て続けに起き、メイルを一気に追い込んでもいる。
「とにかく、急がなきゃ。だから、地震よ、お願いだから、もう少し我慢していて…」
あれほどまでに大地震を切望していたメイルなのに、足の具合の悪い老婦人のことを考えると、柄でもなく母親に本気で祈らざるを得ない。
もちろん、まさかのときは、命懸けで助けると決心している。

そんなときに、「大原麗子」の訃報のニュースが入ってきて、メイルは吃驚仰天した。
10日以上前から連絡が取れず、心配した弟さんが警視庁に連絡し、成城署員が不整脈で病死していた大原麗子を発見したため、「あまりにも孤独な女優の最期」と連日マスメディアが取り上げている。
「ギラン・バレー症候群」なる難病を患い苦しんでいたなんて、メイルは全然知らなかった。
そんな難病のことなど、つゆ知らなかった
それでいて、その難病の症状が他人事の気がしなくて、余計ショックを受けた。
それ以上に、東京都世田谷区の白壁で洋風の豪邸で、そんな難病の再発と戦いながら、2度の乳癌手術を受け、鬱病にかかり、つい半年ほど前まで91歳の母親を独りで介護していたということに、絶句させられた。
それだって、大原麗子が昨年11月自宅ガレージで転倒事故を起こし、右手首骨折と膝を打撲する重傷を負ってしまい、泣く泣く実母を施設に入れたというから、思わずメイルは合掌していた。
その事故の際、インターホン越しの取材に「なんでこんなときに…。母の介護で大変なのよ。私のこんな苦労は誰も分かってくれない…」と言って大泣きしたという大原麗子に、また合掌。
さらに、「本当に歩くのがやっとなの。でも、同じ病気で苦しんでいる人もたくさんいるから、お願いだから、うまく記事を書いてね。本当は何度も再発しているの。でも、そう言うと同じ病気の方が怖がると思うから、病気を公にしたくなかったの」と言ったという大原麗子の心根に、またまた合掌。
そのうえ、インタビューアーに「長年女優の仕事をしていると、声を聞いただけで、その人のナリがわかるの」と言ったという大原麗子に、もう一度合掌…。
東京・文京区の和菓子店に生まれ、小学校高学年のときに両親が離婚し、父親は従業員とすぐに再婚?。母親と2人きりで家を出て1964年に女優デビューした大原麗子にとって、母親を面倒看ることは、人間としての意地だったに違いない。
「仕事は私の生き甲斐。家庭は安らぎとわかっていても、私は仕事に入ると何もかも忘れてしまう。結局、私も男の立場で、家庭の中に男が2人いたっていうことで、家庭の中に男は2人いらない」という大原麗子の本音もよくわかる。
もっともそんな父親せいで、大原麗子は、相当「エディプス・コンプレックス」が強かったに違いない。
結婚した2人の男は、俳優の渡瀬恒彦、歌手の森進一とどちらも女型、離婚も必然か…。
ともあれ、タレント好感度調査で、1976年以来14度のトップを獲得し、「すこし愛して、なが〜く愛して」と語りかけるサントリーウイスキーのCMで「癒やしのヒロイン」と言われ、かわいい女性のイメージが定着したということはわかる。
しかし、「強い女」の先駆け的存在だったということには承服できない。
ところで、メイルは、若いころ、大原麗子と2人きりで会っている。
かといって、もちろん、知り合ったわけではない。
何10年も前、メイルが親友の見舞いのために東京・乃木坂の「井上外科」に行ったとき、そのときの夫であった渡瀬恒彦の入院に付添っていた大原麗子と、病院のエレベーターで、偶然、一瞬2人きりになっただけ…。
大原麗子はノーメイクで水色のトレーナー1枚だった。
そのときの率直なメイルの印象は、「確かに目が大きくてかわいかったけど、小さかった…自分の母親みたいに小さかった」、それだけだった。
メイルが4階のボタンを押して「何階ですか?」とジェスチャーすると、無言で同じと4階のボタンを指差したことを鮮明に覚えている。
そんな大原麗子が、いつのまにか自分の難病と母親の介護に苦労していたとは、メイルは凄く不思議な気分。
それでいて、その母親より先に死んでしまうなんて、人生はやっぱり不可解。
誰もが、自分の人生を思い通りにできないのは、世の常か。
その意味で、母親の介護を生活設計に入れてなかったのは、きっと大原麗子も同じだったに違いないと、メイルはホッとしている。
どちらにしても、メイルが後どのくらい生きても、いくら偶然でも、もう大原麗子と二度と会うことはない。
そう考えるだけで、あのエレベーターでのほんの一瞬の記憶が、メイルの人生の中でのたった一度こっきり見た大原麗子の面影がなぜか鮮明になってきて、ますます吃驚仰天。
ところで、メイルは、大原麗子が難病を抱え独りで死んだことを、不幸な「孤独死」と憐れんでいるヒトたちに、かなり憤慨している。
誰もが死ぬときは、独りぽっち。
その絶対的真実からしたって、何で憐れむことができるのか?
どこを人が同情できるか?
メイルは大原麗子の死を「孤独死」と憐れむヒトたちに聞いてみたい。
孤独でない死とは、一体どういうものなのか?
本当に大勢の家族に看取られるて死ぬと不幸じゃないのか?
それこそ、最愛の人に抱かれて死ぬと幸せなのか?
そう思って納得したいのは生き残った方のヒトではないのか?
一度死んだ方の人の気持ちも聞いてみた方がいいと思うが?
人間が自分の死を何となく予感し、人間としてのプライドからその死を真摯に受け入れようと覚悟したとき、その人間は幸か不幸かなどという低次元の世界から離れ、涅槃のような世界で自分の人生のノートを粛々と閉じるだけでいいのでは?
大原麗子は、母親を施設に入れた後、生き甲斐であった女優の最後の仕事として、正々堂々、自分の死のパフォーマンスをしたとメイルは確信している。
だからこそ、這ってまでして携帯電話をかけようとはしなかったのでは?
メイルには、その気持ちがイヤというほどわかる。
なぜなら、それは決して他人事ではないから…。
そう言えば、「大原麗子と会ったよ」とメイルが母親に言ったとき、「美空ひばりみたいに、母親がそばに付きっ切りで売り込んでる子でしょ、可哀想に…」と言っていたことを思い出した。
人生、それぞれにそれなりのドラマがあるのは、本当かも…。
あれは一体どのくらい前だったのか、よく思い出せないことの方が恐ろしいが…。

そうこうしていたら、今度は「白馬童子」の山城新伍の訃報が飛び込んできて、メイルはまたまた吃驚仰天。
というのも、メイルの母親が、テレビのクイズ番組の司会で歯に衣着せぬ毒舌を吐いていた山城新伍を見ながら、「この山城新伍はお前によく似てるわ」とよく言っていたからである。
その山城新伍も10年前から糖尿病を患い、元家族(?)から見捨てられ、都内の福祉施設でひっそりと死んだ「孤独死」と、こちらもヒトの憐れみを買っている。
こちらだって、それこそ「大きなお世話だ」と、メイルは山城新伍の代わりに怒っている。
「オレがスキャンダルとゴシップで、家庭がメチャクチャになったとき、あれだけさんざんウレシがり、オモシロオカシク言っておきながら、死んだときぐらい放っておいてくれ。どんな後悔をしながら死のうとオレの勝手だろうが、どこでどう死のうと、人様に迷惑をかけない限り…」と。
メイルは本気で、「孤独死」と憐れもうとするヒトたちに義憤を覚えている。

それにしても、メイルは老婦人から、「お盆はどうなさるの?」と尋ねられ、「……別に」と答えたことを母親が怒っているのか、メイルの記憶にある人たちが次々に死んでゆく。
「母さん、父さん、ボクにとっては、毎日がお盆だよ。いくら後悔してても、覆水盆に返らず…ボクも腹水に帰れず」と苦笑いしながら、メイルは老婦人への恩返しに性急になりつつ、自分は孤独死と憐れまれても一向に構わないと改めて観念している。



 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「リチャード・ギア」のごとく

 
メイルは、ようやく蒸し暑くなってきて、ホッとしながらも、毎日悩んでいる。
エアコンをつけると寒いし、消すと暑い。
それが加齢による体温調整機能不全と自覚しているから、余計、複雑。
特に、就寝を決めてからは、まさにハムレットの気分。
エアコンをつけたままだと風邪を引きそうで、エアコンを消したままだとウだるようで、眠れない…。
それがどれだけ贅沢な悩みだとも感じているから、自分を恥じて、ますます眠れない…。
そのせいなのか、毎晩、母親の夢を見る。
脳梗塞で、自由に体も動かせなくなったばかりか、命よりも大切だと思えた喋ることもできなくなり、5年以上の介護度5の後に、不満のまま息絶えた母親が、なぜか今はもう失った家の台所で、天婦羅を揚げている。
メイルは、油の火が心配で、チラチラ母親を見るのだが、一向に止めようとしない。
気がつくと、テンコ盛りの精進揚げが、母親の前に揚げ上がっている。
「母さん、そんなに作ってどうするの? こんなに暑いのに、誰がそんなに食べるんだよ。もう十分じゃない?」
「……」
視線をチラッとメイルに向けるが、母親は黙ったまま天婦羅を揚げ続けている。
「あっ、母さんは話せないんだ」
メイルは一瞬すまない気持ちになって、狼狽する。
そのせいか、自分の額から、汗が滴り始める。
どんどん積み上げられゆく天婦羅も、凄く熱そうで、ますます汗がほとばしり出てくる。
そのとき、母親が全然汗をかいていないことに気づいて、メイルは目が覚めた…。
実際、自分の体が汗びっしょりなことに気づいて、メイルは苦笑いしていた。

不意に、メイルは、「runaway pride(邦題:プリティ・ブライド)」の「リチャード・ギア」を思い出していた。
「USA TODAY 」の有名コラムニストであったリチャード・ギアは、バーで、自分のガールフレンドから、
「ワンミニッツマン、1分しか持たない男」と揶揄され、
「ラストミニッツマン、自分は最後の瞬間にいかせる男、最後の最後で仕事を片づける男」とやっと嫌味を言い返した反動で、その後、その自分のコラム「Hit & Run (この名前に、メイルは感心していた…)」で酔っ払い男から聞いた話をネタに、逃亡する花嫁と題し、世にはびこる女どもの仕業、母親、処女、娼婦、老女などの酷さ、タチが悪くて、気まぐれで、情熱的で、残酷で、浮かれたり沈んだり身勝手な女性の批判を展開し、地下鉄で人を押しのけ、人が止めたタクシーに乗り、エレベーターの中で香水の匂いをプンプンさせる女性を糾弾した。
メイルにとって、このリチャード・ギアの行動は、他人事ではなかった。
メイルは、自分の母親に本当に似て、言いたい放題だった。それこそ、母親同様言わずにはいられない性格だったからである。
お陰で、リチャード・ギアが前妻の編集長に、「報道の鉄則-1 虚偽を書いた者は解雇に」と言われたとき、
「報道の鉄則-2 前妻と一緒に仕事をするな。手を叩いてお仕置きをして」としか言えなかった、
「永久にクビ」と言われたとき、
「……」と黙って出て行ったリチャード・ギアに、何か言ってやれとメイルは腹を立てていた。
ただ、このときの「ボクは何も捏造していない」という英語、「I didn't cook anything up」には、胸を打たれていた…。
また、その女性敵視の、老女への侮蔑の記事で、街を歩いているリチャード・ギアが、突然老女から新聞でたびたび殴られても、何も言い返さないのを歯痒く感じていた。
メイルは口うるさい母親に何か言われるたびに、言い返して、必ず口ゲンカになっていたからである。

そして、やがて、名誉挽回のために、逃亡する花嫁ジュリア・ロバーツと出逢い、恋に落ちてゆく「プリティ・ウーマン」型ラブコメディなのだが…その逃亡する花嫁を慰めようとドライブに誘い、初めて自分の話をするときに、リチャード・ギアが、
「自分の父親は印刷業をやっていて、ボクを音楽家にしたがった。母親は、小説家にしたかったようだが」と言った。
そのとき、メイルは、母親がメイルの顔さえ見れば、
「コックになれ。オマエはコックに向いている。コピーライター何て言う小説家もどきなんて止めて、コックになれ。こんなに料理がうまいんだから」と言っていたことを思い出していた。
と同時に、
「オマエはなぜきちんと結婚してあげないの? 彼女が可哀そうよ…オマエは女の敵よ。心の曲がった皮肉屋、冷血動物、最低なバカ」と続けた。
この言葉は、映画の中で、ジュリア・ロバーツが、リチャード・ギアに対して同じようなことを言うシーンがある…。
ただし、メイルは母親に、
「母さんに似たイヤな性格なんだから、仕方ないだろ」とすぐ言い返していた。

どちらにしても、このリチャード・ギアを思い出したことで、やっと見た母親の夢の意味がわかった。
母親は特別好物なものがあったわけではないが、精進揚げを食べるのが好きだった。
それが自分の意に反して脳梗塞で倒れて以来、ほとんど口から何も食べることができなくなってしまった。
5年以上もである。
その辛さ、もどかしさ、おそらく話すことができなくなったことと同じくらいだったに違いない。
人間は、口から食べることができて、初めて生きていたくなるに決まっている。
それなのに、世界中で、母親のような病気のせいではなく、食べたくても食べられない人たちが大勢いる。
メイルは、今、自分を支えてくれる人たちの世話になっていながら、毎日、きちんと食事を口から食べることができている。
どうやら、母親はそのことにちゃんと感謝を忘れるんじゃないと言っている気がする。

ところで、この映画の中で、メイルがビックリしたシークエンスがある。
最後の方で、ジュリア・ロバーツがリチャード・ギアに愛を告白するときのことである。
「I guarantee that we'll have tough times.(2人には辛いときがあるだろう)
And I guarantee that at some point...one, or both of us, will want go out.(そして、1人が、2人ともが心が離れるときもあるだろう)
But I also guarantee that if I don't ask you to be mine...(でもここで自分のものになってと言わなかったら)
I'll regret it for the rest of my life(残りの人生でそれを後悔するだろう)
because I know in my heart you're the only one for me(なぜなら自分の心の中にはあなたしかいないから)」
それを聞いて、リチャード・ギアが、
「That's a pretty good speech(ステキなスピーチだ)」と応えたシーン…。
この直後、映画では、ジュリア・ロバーツがリチャード・ギアから借りた言葉と言うのだが…。
実は、メイルにも全く同じ経験があった。
なぜかその彼女はメイルの母親となかよくなり、2人がかりで、メイルに結婚を迫ったことがあった。
そして、同じようにステキな告白をした。
メイルは一瞬感動して、内心、覚悟を決めていた。
ところが、その数日後、メイルが彼女に、
「キミがあんなに詩人だと思わなかった」と言うと、
「えっ、あれはアナタがワタシに言ってくれたことよ」と答えた。
メイルは、全く覚えていなかったことに、ショックで、自分が彼女にそんなことを言ってしまっていたことがショックで、結婚できなくなってしまったのである。
もちろん、このことは彼女にも、そして最後まで彼女のためにメイルを泣きながら怒った母親にも言ってはいないが…。
 
 
 
 
 
 
プロフィール
 

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
bnr-tosenbo-kaigo3.jpg

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
PR
 
 
 
 
 
 
 
QRコード
 
QRコード
 
 
 
 
 
 
ブログランキング
 
 
 
 
 
 
 
ブログ内検索