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介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「ハリソン・フォード」のごとく。

 
メイルは、最近、なぜか夢を見る自分に驚いている。
正確には、夢は毎日見ていて記憶できるかどうかの問題だから、目覚めても覚えていることに驚いている。
おそらく異常なまでの睡眠不足と疲労困憊のために、眠りが浅いせいなのかも知れない。
それにしても、認知症気味に記憶力が悪くなっているのに、やはり夢は摩訶不思議。
今、どう必死に思い浮かべても、顔はもちろん、その名前さえも思い出せない人たちの顔が、信じられないくらいはっきり出てくるから、実にオモシロい。
なかでも、出演過多なほど登場してくる亡くなった両親の顔が鮮明なことには、いくら後で夢とわかっても、ビックリさせられる。
それこそ、2人が健在だったときには、夢に出てこなかったばかりか、親不孝なことに、あまり思い出したことさえなかった。
その意味でも、やはり摩訶不思議。
しかも、ときどき、まるで父親のように寝ぼけるから、不気味。
もっとも、父親の寝ぼける原因は、メイルと違って明白だった。
それだって、「参った。戦争で殺した相手の顔顏が、連日、夢に出てくる…」と、晩年、父親が思い余ってメイルに吐露したことで知っただけだった。
それでも、戦争を体験したことがないメイルにとっては、うなされたように寝ぼける父親を見るたび、ただただ鳥肌を立てていただけ。
よくよく考えれば、戦争という極めて理不尽かつ凄惨な状況だったにしろ、人を殺してしまったことへの悔悟の念、自責の念は想像を絶するものがあったに違いない。
それこそが、人間の人間たる所以。
今なら、そんな父親が典型的なPTSDだったに違いないと、メイルにも簡単に推察できるのだが…。
では、なぜそんな両親の夢を今たびたび見るのか?
メイルには、その理由に心当たりがある。
確か、阪神大震災が発生したときだった。
衝撃的な神戸の街の崩壊の様子をテレビで観ながら、メイルの母親が言った。
「イヤだイヤだ。怖いね…。私たちはあんな戦争を経験したんだから、こんな天災は勘弁して欲しいわね」
「ああ、戦争より願い下げだね。こういう天災は、突然で見境ないくて、覚悟するヒマがないからな」
めずらしくメイルの父親がすぐ同調した。
それに、メイルが茶々を入れた。
「大丈夫さ。心配ないよ。ボクみたいな奇跡の息子を持ったんだから…。ボクがいる限り、起こると言われている大地震は起きないよ。どんな人間も、その一生で戦争か大災害に遭遇するって言われているけど、奇跡的にボクは免れるから…」
「メイル。そういうことを言ってると、バチが当たるわよ。自然って、そういうものよ」
それを受けて、母親はそう言いながら、なんともいえない眼差しをした。
そして、父親も、同じ眼差しをしていた。
メイルは、昨年、東日本大震災が発生したとき、まず思い出したのがそれだった。
というのも、2人は念願通り、東日本大震災前に他界したのに、メイルは、毎日、あたかも戦争のように覚悟させられながら、新たな大地震の恐怖に脅えさせられているのだから。
「あのときの2人の眼差しの意味は…」

メイルは、それで思い浮かべるのが、映画「Crossing Over(人種がクロスオーバーするとき)」のハリソン・フォード。
「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」という邦題がついていることでも一目瞭然なように、不法移民が跋扈するロサンゼルスで、文字通り「ice(氷)」のようにの不法移民を取り締まる、年老いた彼らに同情的な移民税関捜査局(I.C.E.)捜査官。
自由の国アメリカに最後の夢を託そうとして、命がけでうごめく雑多な人種の人々。
映画は、メキシコ、オーストラリア、イラン、韓国、バングラデシュからアメリカを目指してやってきた人間たちの、それぞれの事情と厳しい現実がクロスオーバーする物語。
ハリソン・フォードは、「国家の正義」と「個人の幸福」までがクロスオーバーする現実の中で、妻や娘にも三行半を突き付けられた孤独な男。
実際、アメリカには1,100万人以上の不法移民がいて、それは増え続けているというから、壮絶。
ただし、それでもさすがアメリカという点がある。
リッチだったり、プリティだったり、タレントがあったりすれば、すぐに例外。
メイル的には、母国の将来を誰も信じていないとさえいわれる韓国洗濯屋ファミリーの、アメリカでの生活にかける執念はメチャクチャ鮮烈。
こちらも、さすが…。
どうあれ、不法移民でも、アメリカで子どもを生めばその子は自動的にアメリカ人になれるという出生地主義は、太っ腹。
さらに、グリーンカード(永住権)もあり、その取得方法も、アメリカ人と結婚するとか、宗教関係者であるとか、高額な投資や事業で貢献したとか、スポーツや芸術の才能があるとかでも優遇されるところは、やっぱりアメリカン。
では、メイルは、なぜハリソン・フォードを思い出したのか?
とにかく、すぐそのじっと黙って凝視する視線が、ときにはメイル父親に、ときにはメイルの母親にソックリだから…。
なかでも、縫製工場での摘発で、メキシコから不法入国してきた若い母親との視線と視線のクロスオーバーは、メイルの父親と母親とのやり取りのように思え、戦慄だった。
さすがのメイルもスペイン語はダメ。
「ダメだ」
「お願い」
「よせ。こんなことまでできない」
「助けて」
「……」
「……」
その若い母親は、息子を預けてある女に金を払って、息子を取り戻しておいて、とハリソン・フォードに懇願し、後は目で訴え続ける。
そこへ、若い同僚が茶々を入れる。
「Muy Bonita, you get her number(電話番号聞いた?)」
「I smell why(誓約書で釈放?)」
「He got pretty one fast,sometimes not pretty one(美人には甘いんだ。ときにはブスにも)」
と…。
すると、ハリソン・フォードは預かった息子のアドレスの紙を投げ捨て、
「OK? Knocked you fuck off(黙れ、若造)」
それなのに、後でそっとその紙を拾いに行き、その息子を取り戻し、着替えさせ、わざわざメキシコの実家まで送る。
すると、メキシコに強制送還されていた母親が「息子を取り返す!」と再びロスアンジェルスに向かって、出発してしまっていた。
あわてて、その母親を探し回るが、見つからない。
やがて、国境で、その母親が悪質移民業者に殺されていた。
再び、その形見となったポーチを持って、メキシコへ行くハリソン・フォード。
それを見たときの祖母と祖父の表情…。
メイルは、はっきりと思い出す。
このときのハリソン・フォードが自分で、その祖父母が自分の両親になって、夢に出てきているということを。
とにかく、ほとんどセリフのないハリソン・フォードは、基本的にメイルの父親のようにしか思えなくて、恐い。





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介護を超えて、悔悟のままに、再び「クリント・イーストウッド」のごとく-2。

 
メイルは、再び、このブログを書き込めることに、ドキドキ、ワクワク、ソワソワ、ワケもわからず感謝している。
そして、もしキリスト教徒だったら、思わず「Hail Mary,full of grace(アベマリア、いっぱいの慈悲を)」とでも言うところと、微笑んでいる。
それにしても、あの3.11に歯医者の予約が入っていなかったら…、メイルは間違いなく2度とこのブログを書き込めなくなっていたことだけは、確実。
オルグ(オーガニゼーション)をなくし、ブログを始め、最後はモルグ(morgue:人気のない寂しいところ?、身元不明の遺体安置所)では、あまりにも儚過ぎる…。
それにしても、「敗者」が「歯医者」で、一命を取り留めるとは、天か? あるいは、「まだ顔を見たくない」という両親のおかげか?
そういえば、2人とも、「あれだけの戦争を経験させられたのだから、大きな天災だけは生きている間に勘弁して欲しい」というのが、口癖だった。
特に、毎晩悪夢にうなされていた、メイルの父親は、地震を異常なほど怖がった。
そのせいで、メイルも、地震にはセンスティブかつ俊敏に対応する自信を持っていたはずだったが、実際に直面すると、自分でガッカリするほどオロオロするばかりで、ひどい自己嫌悪になっていた。
それでも、「まだ生きてもっと地獄を見ろ!」という宇宙からのバイブレーションみたいなものを感じ、淡々と生きている。
それこそ、映画「Gran Torino(グラン・トリノ)」のクリント・イーストウッドが、自分の余命幾ばくもないことを知り、「I knew this was gonna happen(こんなことになるのはわかっていたのに)」と自分の行動に後悔し、死を覚悟した後のように…。
「Tried to...What the hell am I doing here(あんなことをしてしまったのに、ここでなにをやっているのか)?」
クリント・イーストウッドは、よせばいいのにヤケクソになって、調子こいたことをやってしまった結果が、とんでもないことになってしまったことをメチャクチャ反省している。
そして、その責任を取る決意をしている。
「Thao and Sue are never find peace in this world,as long as that'gang around.Until they go away,you know,forever(自分に大切なタオやスーには、あんなギャングがいる限り、それこそ永遠にこの世界では平和を見つけられない)」。
なぜなら、この世には、「Nothing's fair(フェアなものなどなに一つない)」から…。
とにかく、そのために、クリント・イーストウッドは、長男から言われたやらなくていい芝刈りをし、生まれて初めてバスタブでタバコを吸い、散髪をし、その床屋で初めて髭剃りをし、生まれて初めて死に装束のスーツをあつらえた。
メイルは、毎日、そんな気持ちで、「I am at peace(穏やかに)」と生きている。
そして、クリント・イーストウッドがバスタブで、雌犬の愛犬「デージー」に向かって言ったセリフ。
「Let a man enjoy himself, would you,girl?(男にシミジミくつろがせろよ)」と、たびたび独り言を言いながら…。

さて、この映画を通じ、メイルは、メイルの父親が毎夜うなされる原因をほんの少し理解できた気がした。
父親は、戦争で8人殺したと一度だけ吐露したことがある。
メイルが、その悪夢にうなされる様子を見るに見かねて聞いたときのことだった。
いくら戦争とはいえ、自分がスパイとバレそうになったからといえ、その至近距離で殺すしかなかった相手の顔がはっきり夢に出てくると苦悶していた。
そのせいなのか、クリント・イーストウッドのように、生よりも死に詳しかったし、おそらく死んでも背負っているに違いない。
けれども、クリント・イーストウッドのように、「The thing that haunts a man the most is he isn't ordered to do(最後まで人を苦しめるのは、人に言われてやったことではない)」とは言わなかった。
どうあれ、メイルの父親も、クリント・イーストウッドのように戦争を生き抜き、結婚し、家を持ち、同じ2人の息子を持った。
そして、全く同じように、「I was never very close with my two sons.I don't know them, I didn't know how(2人の息子と特に仲よくできなかった。どうしていいか、わからなかった)」という感じだった。
人を殺すということは、そういうことに違いないのかも…。
実際、人を殺すとどういう気持ち?という質問に、クリント・イーストウッドは、「You don't wanna know(知らない方がいい)」と即答している。
どちらにしても、メイルは、3.11はイヤだったろうけど、この映画のクリント・イーストウッドを観たかっただろうな…とよく父親を思い出している。
そして、父親の代わりに、クリント・イーストウッドのような生活をしている。
なにもなくても、ビールとタバコだけは…。
それも、メイルはいつのまにか発泡酒だが…。
そのうえで、最後ぐらいは、人のために死にたいと考えている。
クリント・イーストウッドのように、いつもオイルライターを胸に入れながら、指でピストルを撃つマネをしながら…。
そのせいなのか?
今度は、メイルが毎晩父親の夢にうなされているのだが…。
 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、再び「クリント・イーストウッド」のごとく-1。

 
メイルは、ひょんなことから古くて大きな家に独りで暮らすハメになったせいか、父親のことをやたら思い出している。
というより、メイルは、現在のご近所の人々が自分のことを、父親を見ていた実家の近所の人々のような目で見ているのでは? と自問自答し、苦笑している。
そのせいで、あのころ、父親が何を考え何をしていたのか?と思い浮かべてもいる。
突然、母親が救急車で運ばれ、それまで50年以上オシドリ夫婦であった父親はつがうことができなくなり、古くなった実家で否応なしに独り暮らしになったとき…。
メイルは、危篤!と宣告されてしまった母親のそばに救急病院に入り浸りで、正直、父親のことは後回しだった。
それでも、一応、父親の食事のことだけは気に留めたものの後のことはほとんど放ったらかしだった。
実際、父親も母親のことばかり気を病んでいて、自分の要求などは何もしなかった。
それが、母親の介護度5という自分たちでは何一つ介護できない介護生活が始まって、父親にもほぼフルタイムで訪問介護士をメイルはつけた後は、完全無視になっていた。
メイルは、好んでそうしたわけではなかった。
そうせざるしかない理由ができたからだった。
最初は、嫁姑との確執から母親とは極めてギコチない関係だった兄嫁が、父親を面倒看てくれるということになった。
兄の持ち家はかなり広く、2人の息子たちもそれぞれに一家を構えていて、スペースに余裕があったうえ、いわゆる長男でもあった。
しかし、父親はたった一日で実家に戻ってきた。
兄嫁は、父親が曾孫の娘を可愛がらないと言い訳したが、耳が遠くなっていた父親にとっておしゃまな曾孫娘はかなりタフな相手だったに違いない。
それ以上に、慣れ親しんだ実家の方が住み心地がよかったのかも知れない。
以来、40代や50代の女性介護士の方々が、とっかえひっかえ尋ねてきての上げ膳据え膳は、メイルの父親にとってミニ・ハーレム気分になったことは間違いない。
案の定、無愛想なはずの父親のそんな女性介護士たちからの評判も、「いい方で、お世話しやすくて助かります」と上々だった。
今考えると、親身ではなくウワベだけの接し方しかしない息子どもより、赤の他人の彼女たちの方がよっぽど新鮮で気分がよかったことだけは理解できる。

そんな父親のことを思い出しつつ、自分の現状を見つめていると、メイルはすぐに映画「Gran Torino(グラン・トリノ)」のクリント・イーストウッドが、脳裏に浮かんでくる。
このクリント・イーストウッドを語るには、今までになく、そのセッティングを説明せざるを得ない。
そして、メイルの父親との共通点を挙げておかざるを得ない。
クリント・イーストウッドには、2人の息子がいる。
メイルの父親も同じ。
クリント・イーストウッドは、朝鮮戦争に従軍し、随意的に不随意的に人を殺し、そのトラウマを背負っている。
メイルの父親も同じ。ただし、戦争は支那事変。
クリント・イーストウッドは、フォードの工場で勤続50年。そして、その自慢は自分でも一部を作った1972年製グラン・トリノ、コブラ・ジェット。
メイルの父親は、国家公務員として金属30年。そして、その自慢は内閣総理大臣からの感謝状。
クリント・イーストウッドの住んでいるところの環境は、ミネソタ州の片田舎の町。なぜか周りには、ベトナム戦争終結直後アメリカに逃れたモン族がいっぱい。
ちなみに、ここではラオスのモン族(Hmong)。
メイルの父親は、東京の下町。なぜか周りには大東亜戦争後リッチになった三国人がいっぱい。
クリント・イーストウッドの妻は、信心深いクリスチャン。
メイルの母親も同じ。ただし、仏教徒。
もっとも、アメリカ人精神剥き出しの口うるさいクリント・イーストウッドに対し、メイルの父親は日本人らしく全くの寡黙だったが…。
それと、クリント・イーストウッドは最後までヘビー・スモーカーだったが、メイルの父親は健康に悪いとわかってすぐに禁煙していた。
その意味では、どちらかというと、クリント・イーストウッドは、メイルにソックリかも。
さて、映画は、冒頭の妻の葬式から、意味深だった。
それまであれこれ言い訳をして疎遠にしていた2人の息子と嫁、そして孫たちが型通りの儀礼で妻の葬式に集まったこと自体に、クリント・イーストウッドはいちいちとキレまくる。
妻の遺体と遺影を前にして、不謹慎極まりなく思いやりのカケラも見せない息子たち、その孫たちの態度に、苦虫を噛みつぶした表情を見せる。
とりわけ、孫娘がへそ出しルックに鼻ピアスとへそピアスには、ドーベルマンのように唸る。
そして、一番大きな孫息子が「Spectacles,testicles,wallet and watch(目ん玉、キンタマ、財布に時計)」と十字架を切って、爆笑した瞬間には、思わず飛びかかりそうになる。
そんな父親の様子を見て、息子は息子で、「オヤジをどうする?」、「なら、兄さんが引き取れよ」と言い合い、クリント・イーストウッドはそれを見て、ブチ切れかかる。
さらに、神父の追悼の祈りの最中に、メールを始めた孫娘に「Jesus」と呟く。
それはその後の家での集会で、「飽きた。こんなところ、早く帰りたい」と言っていた孫娘が、親にうながされ「手伝おうか? オジイチャン」と言った瞬間、「No.You probably just painted your nails(いいよ。爪にマニキュア塗ったばかりだろ!)」と、直接言うことに繋がる。
そして、集会を抜け出し犬の散歩をし、ガレージで孫娘に再び遭って、決定的になる。
未成年のほんのガキのくせにタバコを吸っていた孫娘が、あわてて、「Wow.Grandpa,when did you get the vinntage car(わぅ、オジイチャン、いつこんなビンテージカー買ったの)?」とゴマカす。
すると、「1972」と答えながら、その吸殻を足で踏み消す。
ビビった孫娘は続ける。
「I never knew you had a cool old car(こんなカッコいい古い車を持っていたなんて知らなかったわ)」
「Yeah.Well, it's been here since before you were born(イヤァ、その、オマエが生まれる前からここにあるよ)」
「So...what are you ganna do with it when you, like,die(だから、仮に死んだらこの車どうするの)?」
「........」
「What about that super-cool retro couch you have in the den()? Because I'm going to state next year...and it would look really good in my room, and I don't have any furniture at all(あのむさくるしい書斎の超クールなレトロの長椅子でもいいわ。なぜって、来年には大学に行くつもりだし、あれなら私の部屋にピッタリだと思うの。それにワタシまだ家具何も持ってないし)」
途端、顔をそむけ、ツバをして、立ち去る気持ちがよくわかって、メイルは切ない。
だから、メイルは死んでも葬式が好きじゃない。
 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「ケビン・クライン」のごとく。

 
メイルは、なんとも言えない焦燥感を覚えながら、毎日を過ごしている。
それも、まるで因果応報かのように、いや、デジャブかのように、失くした自分の実家のように、古くて大きな家に独りで…。
言われたように朝、雨戸を開け、夕方、雨戸を閉めながら…。
それだけは、実家にいたときですら、やったことがなかったのに…。
メイルは実家を手放すことに、一切のためらいもなかった。
築半世紀以上も経った実家は、メイルの両親が二人で必死に働いて建てたものだった。
それゆえ、二人の介護施設入居のために売りさばくのは当然だと決めつけていた。
メイルの両親は、ことあるごとに、自分の家を持とうとしないメイルに、「この家はオマエが住みなさい」と言っていたが、メイルには全くその気がなかったからだった。
ただ、想定したほどの値段で売れなかったために、それなりの介護施設にしか入れられなかったことは、今でも悔悟している。
どうあれ、メイルは、家にも、墓にも、一切の執着も興味もないのは事実。
それなのに、こうしてお世話になっている老婦人の家を、独りで守ることになるとは、ほんとうに人生とは皮肉なもの。
それも、間違いなく老婦人にとって、人生そのもののような家だから、何一ついじることもできずに…。
そうしながら、メイルは「一日も早く元気で家に戻ってきて…」と祈っているのだが…。

そんなせいか、メイルは、映画「Life as a house(家のような人生)」のケビン・クラインのことばかり思い出している。
ケビン・クラインは、10年前に離婚し、親から譲られた大洋を望む崖の淵のボロ家に独りで住んでいる。
週末にしか会わない息子は、顔中にピアスをつけ、シンナー、マリワナ、ドラッグ三昧の自堕落な生活を送っていて、死人同然…。
そんなある日、CGを使えず建築パースを昔ながらに手作りしているケビン・クラインは、突然、会社を首になる。
その帰り、倒れて病院に搬送され、余命4ヵ月と宣告される。
そのときの看護師との会話は、メイルにとっても他人事ではない。
「I have not been touched in years(何年も人に触れられていない)」
「Really? No, I mean, not a friend? Your mother? People have to be touched.Everyone gets touched by somebody they love(ほんと? だって、友だちじゃなくたって、母親だっているじゃない? 人は触れられたいものよ。誰だって誰か愛する人に触れられるわ)」
「I know. It's weird,Isn't it?(わかってる。ヘンか?)」
………「I'm scared(コワい)」。
そこで、ケビン・クラインは、10年前を最後に触ったこともない息子と家を建て直すことを決意する。
けれども、10年間放っておかれたと感じている息子との溝は簡単に埋まらない。
それこそ、息子は「You haven't been happy in 10 years(アンタは10年間ハッピーだったのかい)?」とまで、ケビン・クラインに尋ねる始末。
メイルは、センシティブな少年というものは、愛する母親が幸せかどうかの視線ですべてのモノゴトを見るものと改めて認識させられたのだが…。
どちらにしても、死を覚悟したケビン・クラインの決意は揺るがない。
それでいて、息子の覚醒を決して焦ったり、無理強いしたりはしない。
なぜなら、息子がまるで自分のようであることを十分に自覚しているからである。
それにしても、死を宣告されなければ、海を照らす朝日や波の音など小さなことに感動しなくなってしまっている人間の何と浅はかなことよ…。
とにかく、まるで自分のような息子と対峙するケビン・クラインには、悲壮感が漂う。
そうこうしているうちに、自分と自分の父親とのことを告白することが、息子の心を開くことになると学習する。
とりわけ、初めての父子の真っ向からの対決は、印象的…。
「My dady used to play this game. I never really understood what it was until after he was gone.The game was to make me smaller than he was.Smaller,always smaller.No matter what.He could be almost invisible as a human being,but...I still had to be smaller.……I never won the game.And if he couldn't make me smaller with words...I won't ever hit you.Ever.I don't want you smaller.I want you to be happy.You're not.Not here with me. Not at home with your mother.Not alone.Not anywhere.You're what I was most of my life.I see it in your eyes,in your sleep,in your answer to everything.You're barely alive(オヤジのゲームは、親父が死んだ後でも理解できないほどのものだった。そのゲームは、オレを何が何でもオヤジより小さな人間にしようというものだった。ありとあらゆることで、ほとんど人間として無視されているオヤジよりもオレが小さな人間でなければ許されなかった。当然、オレはそのゲームに勝てなかった。オヤジは言葉でオレを小さくできないときは暴力を使った。だから、オレは絶対にオマエには手を挙げない。絶対に。オレはオマエを小さな人間になどしたくない。オレはオマエを幸せにしてやりたい。なのに、オマエはどうだ。オレとここにいようが、ママと家にいようが、独りでいようが、どこにいようが、オマエはオレの人生の大半と同じくらい幸せじゃない。それはオマエを見てりゃわかる、寝ている姿を見ればわかる、何に対してもの反応の仕方でわかる。オマエはほとんど生きていないも同然だ)……人間の偉大な点は、少しずつ変わることだ。それも自分でそれと気づかずに変わってしまってから、そのことに初めて気づくもの。Make you something different in an instant.It happened to me. Build this house with me(だが、突然違う何かがオマエを変えることもある。オレがそうなったんだから。この家をオレと一緒に建てよう)」。
ケビン・クラインの必死な説得は、ようやく功を奏す。
「この家はオヤジがオレの名義にしたときから嫌いだった。25年間住んでいる家を憎み、自分自身を憎んだ。終止符を打つ。オレのものと誇れる何かを作ってお前に残したい」
「ムダだよ。オレはいらない」
「いいさ。好きに処分しろ。だけど、一緒に建てたことだけは忘れるな」
「オヤジへの復讐だろ? 笑わせんな」
「いい気分だぞ」と、2人での共同での作業が始まる。

そうしているうちに、ある夜、顔中のピアスを外した息子から、ケビン・クラインに声がかかる。
「鎮痛剤をもらったよ」
「知ってる。どうして?」
「I like how it feels not to feel(感じないっていうことをどのくらい感じられるかって知りたかったから)」
「I know the feeling(その感じはわかる)」
「How do you become something that you're not(どうやったら突然そうじゃない何かになれるのか)?」
「What would you like to be(何になりたいんだ)?」
「What I'm not(今の自分じゃないもの)」
「What are you now?」
「I'm nothing」
「It's not true」
「You see, that's the thing though,is that...I am what I say I am(自分のことは自分でわかる)」
この子どもの思い込みを崩すのは簡単じゃない。
そこで、ケビン・クラインは再びオヤジの、さらにオフクロの話をする。
「一度オヤジの頭に銃を突きつけた。肉の焼き方が足りないとオフクロを怒鳴って、伸びちまった。オレは銃を持ってきてオヤジの耳に銃口を押しつけた。だが、怖気づいた…」
「何か言った?」
「オフクロを思い出していた。オヤジを捨てず、サングラスをかけ夕食の用意をしていた、夜で真っ暗だったのに。みんな気づかないフリをしてた」
「出てきゃいいのに」
「オヤジを恐れてもいたが、離れるのもきっと怖かったんだ」
「オレなら殺す」
「そう、殺していれば、オヤジは酔っ払い運転をせず、オフクロは事故で死ぬこともなかった………You'd have liked your grandomother.She was pretty cool(きっとオフクロを好きになったよ。とってもカッコよかったから」
「You ever wished you'd done it(殺しておけばよかった)?」
「What? Killed my dad(オヤジを殺す)? I loved him too much」
「It's weird(ヘンだよ)」
この会話こそ、親子愛の本質をついていると、メイルは確信している。
けれども、家に全然興味のないメイルにとって、なぜそれが父子で家を建てることなのか?と、今でも納得できずにいる。
それこそ、二人で崖の淵に座り、With every crash of every wave, we hear something now.We never listened before.Almost finshed(それぞれの波のそれぞれに砕ける音を聴きながら、今までに聴いたことのなかった、生きていることの何かを感じ、それがほとんど終わりに近いことを覚悟する)方が、いいと思うのだが…







 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「トム・ハンクス」のごとく-5

 
メイルは5年振りという冬将軍の来日に、暗澹たる思いでいる。
寒さは、とかくネガティブ思考を生みがち。
そうでなくても、寒いのが生理的に苦手なメイル、今までなら暖かさを求めムリしても南の島に逃れていたはずなのに、さすがに今はそんな時期ではないと自重している。
できることを淡々とするだけ…という信念もあるが、とても気に病んでいる問題があるからである。
お世話になっている階下の老婦人が、昨年末入院したまま、いまだに戻ってこないのである。
「まもなく1ヵ月になる…」と心配しつつ、メイルは居候でありながら、大きな家の留守番をしている。
入院した目的である脊椎の骨折手術は成功したのに、予後、心臓と肺の機能低下が診られるというから、正直、気がかり。
高年齢者が注意すべきは、やはり心臓と肺、それに直結する腎臓。
そうでなくても、整形外科的術後は、寒さが大敵なはず。
とにもかくにも、メイルは見舞いに行けない面映ゆさを覚えながらも、老婦人が入院前より少しでも元気になって帰宅できることを祈る毎日…。
というのも、お世話になっている恩返しをまだ果たしていないからである。
そして、凍結した道路を歩きながら、わざと大きく滑ってみて、「ツルっと恩返し、鶴の恩返し!」と頬を引きつらせてオドケテ見せている。
「それにしても、寒過ぎる。やたらとノドが乾燥する。心身ともに凍りそう」と、ときどき独り言を言いながら…」。
そうしては、当然のごとくメイルは、また自分の母親のことを思い出す。
ベッドに不自然に横たわり、何とか動かせる左手でメイルの手を強く握り、「お願い。もうこんな状態はイヤ。ガマンできない」と懸命にメイルを見つめた、あの母親の眼差しを…。
それを黙って見ていることができず、メイルは「仕事だから」と偽って、グアムに独りで逃げ出していた情けない自分を思い出しては、また悔悟している。

そう言えば、映画「Joe wersus the Volcano(ジョー、満月の島に行く)」で、トム・ハンクスとメイルのお気に入りのメグ・ライアンが1人3役で演じるパトリシアの間でも、同じようなシーンがあった。
今考えると、母親の介護をしながら、何度もメイルが常夏の南の島に逃げ出したのは、そのせいだったかも知れない。
余命いくばくもないと宣告されたトム・ハンクスが、南の島のある火山島を救うイケニエになるために、メグ・ライアンのヨットで、LAを出帆する。
魂を病んでいるメグ・ライアンは、同じく魂を病んでいる腹違いの姉と寝なかったトム・ハンクスに好意を寄せる。
けれども、途中、台風に遭遇し、ヨットが沈没。
2人は、南太平洋に投げ出され、トム・ハンクスが運んでいた巨大トランクで漂流する。
気を失ったままのメグ・ライアン。
自暴自棄だったトム・ハンクスだが、必死でメグ・ライアンを助けようと、自分で水を飲まず、彼女の口に水を含ませ続ける。
そして、その横で、踊ったり、ウクレレで歌ったり、ゴルフのパッティングをしたりしながら、大空の太陽を、夜空の満天の星を、満月を見つめる。
それから、メグ・ライアンの命を助けてと祈る。
そして、突然、満月に向かって両手を上げ大声で叫ぶ。
「Dear God...Whose name I don't know...Thank you for my life...Thank you...I forgot how big...Thank you for my life(親愛なる神様…誰の名か知らないが…我が命に感謝します…心から感謝します…忘れていました、いかに偉大かを…我が命に感謝します)」
2人には、この後ラブコメらしい奇跡が数々起き、ハッピーエンドで終わる話。
実は、メイルも母親にそんな奇跡が起きることを、南の島で祈っていた。
だから、今また、「今度こそは、奇跡を!」と、もう一度南の島に行って、祈ってみたい気持ちがあるのだが…。
それは困難なのが自分の置かれた状況。
そこで、トム・ハンクスが言ったように、「I have wasted my entire life and I'm going to die.I have a chance to die like a man.I have to take it.I have to be brave.I have to jump(すべての人生をムダにしてきた。死ぬつもり。男らしく死ぬ絶好のチャンス。ジャンプしなきゃ、勇敢にならなきゃ、ジャンプしなきゃ) 」と勇気を持って老婦人を見舞に行くしかないか?と覚悟している。
そして、老婦人に直接、メグ・ライアンが「愛しているから、一緒に火山に飛び込む」とトム・ハンクスに言い返したように、「Whither thou goest,I go.Nobody knows anything.We'll take this leap we'll see.That's life(共にどこまでもよ。誰も知らないのよ。飛んでみなきゃ何もわからないのよ。人生は)」と声をかけてみたいと考えているのだが…。
 
 
 
 
 
 
プロフィール
 

介護人 メイル・GIVEソン

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
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