FC2ブログ
 
 
 
 
 
介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

介抱、解放。そして、ジェニファー・ロペス。

 
メイルは考えに考え抜いたうえ、断腸の思いで母親の葬式にはほんとうに出席しなかった。
そのこと自体を社会的に心情的に、非難、批判する人がいたとしても、メイルにはそんなことは一切構わなかった。
珍しく悔悟の念を全く覚えないばかりか、心地よさまで感じて、自分自身吃驚していたからだった。
人間が現実の脆さや恐怖と直面するとき、それをそっと忌避しようと行動したり、自己欺瞞で押し通そうとするのは、間違いなくDNAが長い年月をかけて育んだ一つの知恵である。
そんなことはメイル自身十分に理解していたはずのことだった。無論、現実に大した生き方をしているわけでもないが、こと自分の母親の死に対してだけは、最後の最後まで真摯に自分の信じるままでありたかったし、一切嘘をつきたくなかった。
誰が何と言おうと、葬式という形骸的な慣習は仏教ビジネスの一アイテムでしかなく、生き残ったものが自分にただ言訳するためだけのものでしかないと、メイルは確信している。
結婚式という祝儀さえ是としていないメイルにとって、葬式などというものはチャンチャラ可笑しいファルス、さらなる無用の長物、偽善にしか考えられない。
逆説的に言うと、いまなお、そして永遠に絶対的な真実であろう死を、その前段階としての母親の死を、メイルはより厳粛に受け止めていたかったのである。
事実、母親が病気で倒れるまでは、口うるさく、聡明で、執拗で、率直過ぎて、いわゆる女らしい母親のことなんか歯牙にもかけていなかったメイルだった。
「心配しているのだから、電話の一本ぐらいしてきなさいよ」とあれほど母親が電話してきても、
「ああ」と素っ気無く返事して、そのまま忘れてしまうような薄情な息子だった。
それが介護度5のまま結局永眠してしまったら、
「どうだい?母さん。疲れは取れたかい?」
「お前こそ、大丈夫?」
「なんとか…」と、今まで通りの嘘らしい嘘をつきながら、いま間違いなくこうして毎日声を掛け合っていて、とても不思議な気分なのである。

メイルは、「エンジェル・アイズ」のジェニファー・ロペスにめちゃくちゃ共鳴している。
今では日本でも、恐ろしいことにすっかり日常茶飯事化してしまった“D.V.(ドメスティック・バイオレンス)”で苦しんだ少女が、母親を、それこそ暴力の源である父親さえを愛するあまり、純粋な正義感に燃え、完璧な家族のあり方や犯罪のない社会を目指し、ひた向きにChicago P.D.で律義に働く婦警を好演しているジェニファー・ロペスに、年がいもなく惚れている。
当然、悪が大勢を占めている世の中では、正義の方が虚弱でリアリティがなく、どんなにムキになってもほとんど徒労に近いのである。
それでも絶望することなく、不眠症や同僚たちのセクハラと戦いながら、困っている人を助けたいと必死に毎日を過ごしていると、なんと偶然交通事故現場で助け出した、その事故で家族を失ってしまった男と運命的な出逢いをして、恋に落ちる。
そして、その摩訶不思議な恋の展開の中で試行錯誤しながら、「人を助けるということは心を助けることだ」ということを、「人間の人間らしさとはパーフェクトでないことなのだ」ということを学んでゆく。
なによりも、メイルを感動させたのが、DVで逮捕させたために没交渉になっていたその父親と、両親の結婚確認再結婚式パーティで久しぶりに対峙したときのこと。
また言い争いを始めるのではないかと心配そうな母親と兄の顔。そして、何を聞いても終始無言で逃げ回る父親。ようやく何とか話ができ、「まだ私を愛してる?」との質問に、「私には娘なんかいないと感じている(feel like a I have no daughter)」と答えられたときのジェニファー・ロペスの顔。

メイルは中学一年生のとき、母親とケンカして初めて本格的な家出をした。そのとき、やむを得ず迎えに来た父親が言った。
「お前の母親だけじゃない。世間の母親はみんなあんなもんだよ」
メイルはその言葉に納得したのではなかった。それ以上友だちの家に居候していられないと感じてただけだった。
だから、仕方なく家に戻った。
そのとき、心の中で一方的に、「自分にはもう母親なんかいない」と決断していた。
以来、何度家出をしただろう。ほとんど特別に必要なことが生じない限り、ほとんど家になんか寄りつかなかった。
自分でなにもかも決定できるようになってからは、なおさらだった。
なんとかそれでも自分の母親なんだと受け入れられるようになったのは、父親が言っていた通り、一通り女性たちに失望させられまくった後だったから、いくら早熟だったメイルでも、30に近づいたときだった。
だからといって、実家に戻ることなどほとんどなかった。

それで突然思い出した。
ジェニファー・ロペスが父親にやっと声をかけた言葉が、「補聴器は動いてる?」だった。
メイルの今一番の悩みが、父親の耳がどんどん遠くなってきていることなのである。
せっかくそれを気づかって、大学病院で聴覚検査までして作った高額イヤホン型補聴器を渡しても、すぐ無くしてしまうのである。
最初に無くされたときは、コミュニケーションに不便だろうと、すぐに同じものを買い直した。それさえもまたすぐ無くされたときは、さすがに少しムッとして、「父さん、これで大型のプラズマテレビが買えたのに…」と言ってしまって、すぐに悔悟した。
なんと、「通販の廉価の物でいい」と言い張り始めたのだ。
仕方なくそうさせていたら、案の定、声が聞こえなくて難渋しているとヘルパーさんから聞いた。
そこで苦笑しつつも、すっかり馴染になってしまった補聴器会社の営業マンと率直に相談して、少し値段も安いカード型補聴器に変えて渡してみた。
すると、今度は「面倒でね」となかなか付けないのである。
ところが、母親の葬式直後に父親をホームに尋ねて、メイルは驚愕のシーンを目の当たりにしてしまった。
補聴器ナシなのに、若い女性介護士さんたちと談笑していたからである。
もう介護ベテランの域に近づいていたメイルは決してそれにも腹を立てることなく、
「父さん、母さんのお葬式どうだった?」と、さりげなく小さな声で会話を遮ってみた。
そうしたら、「オレの葬式はどうするんだ?」と聞いてきた。
「なんで、そんなに葬式のこと心配するの?母さんと同じにアネキに頼めばいいじゃないか?」
まだまだ、介護の悟りにはほど遠く、介護の悔悟の日々はメイルに続くようである。
それにしても、メイルの父親や兄は、なぜ葬式のことばかり気にするのだろう?
メイルには、その気持が全くわからず困っている。



☆介護の重要ポイント-12
介護に明け暮れていると、日常の身近な事に気がつかないことがあるので、くれぐれもご注意を。今、旬の問題といえば年金。
まさか養老年金受給者の80半ばの母親に「ねんきん特別便」がくるとは、まさに青天の霹靂。そこでフと考えてみたのだが、年間100万人位が死亡する。
そのうち年金受給前年金加盟者が20%いたとすると、その遺族は保険の事に気付いても年金の事は全く考えないのでは?では、その年金はどこへ?
この問題、実はもっと凄い奥がありそうな気がする。
ところで、永眠してしまったばかりの母親のケースはいったいどうしたらいいのだろう?




ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
スポンサーサイト



 
 
 
 
 
 

悔悟、戒護。そして、ポール・ニューマン。

 
メイルは、母親が自分の死をもって、自分の窮状を助けてくれたのかもと、毎日複雑な思いで過ごしている。
実際、とっくにメイルは経済的ににっちもさっちもいかなくなっていた。
仮にそれが昨年中だったら、扶養家族控除がなくなり、1年分の所得税が追加請求され、それだけでもメイルは破産してしまったかもしれない。
そこまでわかって母親が必死で生き長らえて年が明けてから永眠してくれたに違いないと感じてしまっている。
結局、今の介護システムでは、介護度5の母親の金銭的コストはあまりにも大き過ぎ、自分の経済状態では初めから無理なことだと考えなかったために、最後の最後まで母親に気を遣わせてしまったのである。
ますますメイルの悔悟は大きくなるばかりである。

メイルは、母親が危篤になって以来、『介護の重要ポイント2』で明確にアドバイスしたことを無視し、ポール・ニューマンの「ノーバディーズ・フール」を観続け、あれほど自分は生きている限り、そのポール・ニューマンのように生きていたいと考えていたのに、今やそれすら難しくなってしまった。
介護によって、その悔悟によって、メイルには、もう自分の夢を見ることは無理になってしまった。
ともあれ、「誰もバカじゃない」とは、さすがに訳せなかったのか、英語のタイトルがそのまま日本語のタイトルになったこの映画は、極めて出色の作品である。
人生を、老いを、家族を見つめ直すためにも、ぜひとも観なければいけない映画だと、メイルは信じる。
なかでも、特にメイルがこだわり、何度も何度も見直したシーンは、ジェシカ・タンディとポール・ニューマンとの会話だった。

下宿屋の主人である老婆ジェシカ・タンディが
「去年は電柱が折れ、次はお隣の水盤、次はきっと私をお召しになるんだわ」
と亡くなったご主人の写真に話しかけていると、
「まだ生きてるか?死んでない?」
「まだよ」
「独り言は危ない」
「独り言じゃない。主人に話してたのよ」
「ついにボケたのかと思った」と話しかけるポール・ニューマン。
映画の中でポールニューマンの設定は、離婚され、初老になり、独りぼっちで、しかも怪我をした情けない男。
「お茶はいかが?」
「いつものように遠慮する」
「なぜネクタイをつけたの?また警察にでも呼ばれたの?」
「駐車違反の告げ口を?」
「報償金があればね。逮捕される前に、ポーチの手すりを直して、もう1ヶ月よ」
「わかっているよ」
「忘れないで」
「忘れたことが?」
「今度は忘れない」
ポール・ニューマンは約束を守っていないことに恥じたのか、話題を彼女の息子のことにすり替える。
「銀行屋は?」
「その呼び方は好きじゃない」
「ご子息は感謝祭には?」
「カントリークラブで一緒にディナーよ」
「人間は自らの鎖で縛られる」
「誰に言われたの?」、
「もちろん、中学生時代に、あなたから教わったんだよ」と元自分の教師でもあったジェシカ・タンディに言うシーン。

家の前で、ジェシカ・タンディが、
「やっと直してくれるの?」
と尋ねたとき、
「今日直すよ」
「命を下さった神様に申し訳ないと思うことは?」
「あまりない…時々ね」とポール・ニューマンが照れ臭そうに応えるシーン。

カントリークラブのパーティーで、息子に案内され、胡散臭いテーマパーク推進者に、
「いい息子さんをもって鼻が高いでしょうな」
と話しかけられ、
「息子じゃないの。病院で取り替えられたのよ」
とジェシカ・タンディが応え、
「冗談です」と慌てて息子が言い繕うシーン。

息子が家に来て、家を売って投資しようと執拗に迫るのに辟易して、偶然認知症で外出する近所のレストランの女性を見つけ、大声で2階のポール・ニューマンを呼び、
「母さんどうしたんです?何事です。ボクが代わりに行くよ」
と言う息子を無視し、
「何とかして!急いで!」
「わかった。急げないんだよ」
と、ポール・ニューマンにジェシカ・タンディが申し訳なさそうな表情にさせるシーン。

「まだ生きてるのか?眠って死ぬのか?」
といつものように声を掛け、その異変に気付いたポール・ニューマンが病院に運び、診察の終わった後、
「医者は何と?」
「息子に言わないと約束してくれる?」
「それはできない」
「じゃ言わない」
とすねるジェシカ・タンディに困り果て、
「言わないよ。医者は何と?」
「脳卒中よ。軽かったの。年寄にはよくあるって。薬を飲んで無理をしなければ長生きできるそうよ」
「息子に連絡を、息子だぞ」
「どう抗議しようとホームに入れられてしまうわ。わかるでしょう。そんなことされたら私耐えられない」
「わかった。だが誰か面倒を見る者が必要だ」
「もういるわ」
「よしてくれ。それはダメだ」
「まだ万馬券を狙ってる?」
「競馬?」
「当たった?」
「いいや。でも賭けている。いつかきっと来る」
「あなたは私の万馬券よ。ウチへ送って、ありがとう」
と車に乗り込むシーン。

ポール・ニューマンがちょっとした事件を起こしたことに喜び勇んで駆けつけた息子が、
「注意した通りだ。あの男はいかれてる」
「ワケがあるのよ」
「警官を殴っておいて。この家で乱暴を働いたら?あいつを追い出すんです。それも今すぐね。母さんが言わなきゃ、私が言う」
すっかり困り果てたジェシカ・タンディに、
「くやしいが銀行屋の言う通りだ。バかをやった。少しの間、別荘暮らしだ。別の下宿人を」
「私の好きな下宿人はあなたよ」
「オレをあてにするな。お互い賭けは失敗だった」
と背を向け、ポール・ニューマンが階段を上がって行くシーン。

ジェシカ・タンディが物音に気付きドアを開けると、なぜかそこにドーベルマンがいて、そこにポール・ニューマンが現われ、
「手すり直したよ。中で靴を脱いでも?」
「もちろんよ」
「オレにはここしかない。部屋はまだ貸してないだろうね」
「まだよ」
「ペットを飼ってもいい?」
「まぁ」
「相談して決めよう」
「お茶はいかが?」
「いつも通り遠慮する」
「(失踪した息子のことを気遣い)息子さんはお気の毒に」
「ありがとう。私にも責任があるかも」
「だが育てた。オレよりましだ。なにかいいことしたって?勝手に余計なことを」
「こんな年寄ですもの、許されるはずよ」
「許そう」
「ありがとう。ほんとうに飲まない?」
「何度断らせるんだ?」
「気の変わる人もいるわ。いつか、アナタも?」
「そう思う?」
とチェアでうたた寝し始めたポール・ニューマンの手から、そっと煙草を取り、灰皿に捨てるシーン。

メイルは、そんなポール・ニューマンとジェシカ・タンディのように母親と接していたかったのに、それはもう完全にできない。永遠に夢でしかない。
だから、母親のことに関する悔悟を考えないようにしなければと、決意するように努力し始めてもいる。
というのも、現実的には、まだ父親の介護が残っているからである。
けれども、正直、メイルにはこれ以上、介護を続けてゆく気力も金銭力もほとんど残っていないのもまた現実である。
「母さん、オヤジのことどうしたらいいの?」と、すっかり憔悴してしまったメイルは、今一番母親に尋ねてみたくて困っている。



☆介護の重要ポイント11

介護をプランするとき、経済的にほとんど夢見てはいけないことを絶対に考えないこと。それは、自ずと双方の破綻を招くだけである。
とりわけ、介護者が被介護者に負い目を持つと、その歪みはこのうえなく大きなものになる。できる限り、怜悧に自分の目で全てをチェックすることが大切。
介護は悔悟にほかならないと自覚していれば、案外温かな介護の手が身近で見つかる。
ちなみに、この「ノーバディーズ・フール」は名女優ジェシカ・タンディの遺作である。


ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
 
 
 
 
 
 

介護、戒護。そして、ニコール・キッドマン。

 
メイルの母親が、年明け早々、ついに呼吸不全で永眠した。
ホームからの電話が鳴った瞬間、メイルは母親が死んだと確信していた。
というのも、メイルは母親の危篤の知らせでホームに駆けつけて以来、極力酒を呑むのを控えていた。特に、昨年末、母親の顔を見てから、一滴も呑んでいなかった。もしもの連絡があったら再び駆けつけようと決心していたからである。
それがこの日に限って、やむを得ない仕事の事情で午後3時位から、
「母さん、お願いだから、今日だけは勘弁して」と、
心の中で祈りながらも、仕方なく呑み始めていた。
メイルは内心、母親は時間の問題だとも思っていた。
だからこそ、余計そう直感した。
最後まで、
「メイル、お前はまだ悔悟の情が足らない」と、口うるさい母親ならでの戒護なのだと、すぐにわかった。
「すぐにいらっしゃられても、誠に申し訳ないのですが、今日は生憎ドクターがいませんので、何もできないのですが…」という介護士さんの言葉に、メイルはホッとしていた。
言下に、まだ正月のこんな時間なので、という意味合いを感じ、いつものメイルなら、たちまちカチンと憤慨するところなのに、
「ああ、そうですか…。先生は何時いらっしゃるのですか?」と、
極めて穏やかに尋ねていた。
「明朝9時過ぎには来ると思います」
「わかりました。その頃までには伺います」
「そうしていただけると助かります。お着替えさせていただいても、よろしいでしょうか?」
「こちらこそ。お気遣いありがとうございます。いろいろとありがとうございます。よろしくお願いします」と答えながら、メイルは胃がフワッと広がってゆくような感覚を覚えていた。
「母さん、疲れたろ。よかったね…」
涙が出てこないどころか、心の底から、なんともも言えない笑みのようなものが込み上げてきて、メイル自身びっくりしていた。
ほどなく、義姉から「お葬式なんだけど…」と何年振りに電話があった。
「ボクはやるつもりなんかないけど…」即座に応えた。
「そんなことは言っても…」義姉は戸惑い気味に応えた。
「ボクはオヤジにもそう言ってあるし、オヤジの葬式も、ボクの葬式もやるつもりなんかないって、はっきり言ってあるけど」
「ワタシだって個人的には…」
メイルには、わかっていた。義姉には、子どもの嫁がそれぞれにあり、特に二男の嫁は、わざわざ何度も曾孫を連れ、遠いホームまで見舞いに訪問してくれていた。
メイルはほんとうに感謝していた。そうである以上、世間的にはやむを得ないことでもあるのだろう。
それに、メイルの父親もなぜか葬式をしたがっていた。
「どうしてもやりたいなら、好きにしてよ。兄貴にとっても母親であるのは事実なんだから…」
「わかった。じゃあ、こっちに任せて」
「ああ、でもボクは出席しないから」
メイルはためらうことなく告げていた。

メイルは、心の中で母親の葬式を、ホームに移したその日のうちに、一人で執り行っていた。
移動中の高速道路、全く自由の利かない右手と右足のせいで、どうしても車イスからズレ落ちてくる母親がベルトに絡んで痛々しそうなので、必死に支えようとしたのに、重すぎて何にもできなかったのだ。
と同時に、母親は母親で、姥捨て山に連れられて行くのだということをわかっているかのような表情を見せた。
メイルは、その情けなさ、みっともなさに、自分が許せなかった。
涙がどこからともなく流れ出てきて、止まることを知らなかった。
生まれて始めて、誰の目も憚らなかった。
母親の生きていた楽しみって、ほんとうに何だったんだろう?
メイルの知っている限り、毎年正月、家族が集まったときの平凡な一家団欒の食事中、「ご飯はこうやってみんな一緒に食べると、美味しい…」と言っていた。
それしかなかった。
その瞬間、そこにいた誰もがその話題をそっと変えようとした。
それだって、孫が成長し家庭を持ち、曾孫が生まれ、いつのまにかほとんど一つの輪になることなどなくなってしまっていた。
その晩、メイルは一睡もせずに、滅茶苦茶音痴の母親がたった1度だけ家族の前で歌ったビデオを観続け、号泣した。
ホームでの入居の際、メイルは延命措置を望まないと書類に書かされたことも、それに追い討ちをかけていた。
「まさか、こんな自分が神の代わりをさせられるなんて…。母さんのよく言っていた罪障は甘んじて受けるから、これでよかったんだよね。これでよかったんだよね…。母さんがその不自由な手で何度も何度もペグを抜いたのも、意地でも口腔ケアさせなかったのも、決して話そうと努力しなかったのも、あの作家、吉村昭と同じ気持だったんだよね…」
メイルはひたすら自分を納得させようとしていた。
「自由に皮肉やイヤミも言えなくなってしまった母さんは、もう母さんじゃないよな。死んだのと同じことだったよね。どうせ、ボクだって、直に死ぬ。その間、この贖罪を背負えばいいんだろ、わかっているよ。それにしてもなぜ母さんは自分の葬式をどうしたいか一言も教えておいてくれなかったのか?」
メイルは完全に開き直っていた。
それ以来、メイルの耳には調子外れのそれでいてあまりにも気持のこもり過ぎた母親の歌声が木霊している。
「母さん、少なくともボクの生きている限りは、ボクの中で生きているし、話を今まで通りできてるよ」
メイルは自分の書斎の壁に貼付けた母親の写真の前で、水を上げながら、いま母親に一人で語りかけ続けている。

母の死後、偶然、「めぐりあう時間たち」のニコール・キッドマンに驚嘆させられた。
最後の最後まで、ほんとうにニコール・キッドマンだとは思えなかったからである。
いくら科学の時代で特殊メイクの技術が向上したからといって、まさかここまで、メイルはただただ唖然、呆然としていた。
ニコール・キッドマンが、姪が死んだ小鳥を一緒に埋葬しようとして、いきなり聞かれる。
「死んだらどうなるの?」
「元いたところに帰るのよ」
「アタシ覚えてない」
「ワタシもよ」
その後、小鳥の屍の横に寝そべり、小鳥を見詰めた。
それにしても、この映画やたらと横たわり、相手を真横から凝視するシーンが、女同士がキスするシーンが、生卵を割るシーンが多かった。
そして、エンディングで、ニコール・キッドマンは、1人静かに誰もいない川に入っていった。
それで、メイルは突然思いだした。

母親から添い寝された記憶が全くないのである。
なぜ、なんだろう?
今度直接話ができたら、それだけは絶対に忘れないで聞いてやろう。
今度また昔のように直接話ができたら…。

☆介護の重要ポイント10
介護とは実に社会貢献度の高い崇高な仕事である。
にもかかわらず、度重なる介護法の改正で、極めて割に合わない3Kの仕事のようにさせられてしまった。あれだけ、政治屋や官僚が無駄遣いしながら、まさに何をか言わんやでしかない。
高齢化社会で少子化。
介護士の方々が誇りをもって、人並みに生活でき、心からわがまま窮まりない年寄のために粉骨砕身してもらうには、基本ベースを上げる必要が急務だと確信する。
どちらにしても、そんな中で、人間力ある介護士がいる施設を見つけることが、介護に悔悟しないための最低条件である。
また、解剖学者、養老孟司が言っている、「日常生活からラクして死ぬことを排除してはダメ。人生でただ一つ確実なことである『死ぬこと』。その1番悪いことから考え始めれば、後は良くなるばかり。その方が前向き」。
このことだけは、肝に命じておこう。





ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
 
 
 
 
 
 
プロフィール
 

介護人 メイル・GIVEソン

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
bnr-tosenbo-kaigo3.jpg

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
PR
 
 
 
 
 
 
 
QRコード
 
QRコード
 
 
 
 
 
 
ブログランキング
 
 
 
 
 
 
 
ブログ内検索