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介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

解悟、解悟。そして、ミシェル・ファイファー。

 
どんな人間でも、基本的に孤独に毎日生きている。
そして、どんな人間でも、何らかの親の問題を背負って生きている。
父親に逃げられた母親が、娘が男とうまくいかず男性不信に生きているのは、自分のせいとその責任を感じている。その母親に、
「確かに私は幸せに暮らしていない。ママは何も悪くない。ママのせいじゃない」と言いつつ、
都会でウエイトレスをする36歳の女。
母親に捨てられ親戚をたらい回しにされ、それでもひたむきに生き、刑務所に入ったことで人生をやり直そうとしているコックの46歳の男。
その二人が様々な紆余曲折を経て、心を打ち解けあうようになるまでのラブストーリー。
「フランキー&ジョニー」という題名の映画のミシェル・ファイファーに、メイルは感激している。
故郷からNYに戻るバスの中での涙の悲哀。
「バカな男を信じるくらいなら、ビデオを観ながらアイスクリームを食べるほうがいい」という達観。
年老いた同僚の突然の孤独な死に、自分の将来を見て、葬式での哀感。
自分の部屋から見る人々の日常への哀愁。

「人を愛するなら、自分の気持ちを押し付けないで。何があっても、無条件で愛して。人の何がわかるの?」
「あれを持ってるの?戸棚の奥にあるわ」
「愛してるから、結婚しよう、子どもを作ろうですって、相手の気持ちも考えないでどうしてそう言えるの?」、「誰だって一度は死のうって考えたことはあるわよ」
ミシェル・ファイファーが言うどのセリフも、心に傷を負いながらも人を愛そうとしている女心が微妙に表現され、出色の演技だったからだ。

メイルは、一人のウエイトレスの老女が入院して、ミシェル・ファイファーを含む3人が見舞いに行った際、
「私も、こうして一人ぽっちで、死んでゆくのだろうか?」と、
その孤独を病院で再認識するところに、そして、その彼女の葬式で、
「こんな小さな遠い教会で、参列者のほとんどいない悲しい葬式…」とその儚さを認識するところに、今の自分の心の声を見つけていた。
「父親もホームでどんな気持ちでいるのだろうか?」、「もうすぐ来るだろう死をどう考えているのだろうか?」、「自分だっていつどうなるかわからないのに…」と、何とも言えない複雑な無力感に、メイルは苦悩している。

父親は、もうすぐ90歳になるのに、なぜか自分の葬式に呼びたい参列者リストを作成していた。しかし、その友だちたち、兄弟のほとんどは、すでに他界していて、こんな時代らしく親戚たちも、とっくに疎遠なのである。
「父さん!なぜ、そんなに葬式にこだわるの?」
「そんなこと言ったって…」
「葬式屋は、慇懃無礼で、流暢で好きじゃないし、葬式なんて、坊主丸儲けにさせるだけだと思うけど…」
「オマエは、そうかも知れないけど…」
「じゃ、もう一度、その呼びたい人のリストだけでも、とりあえず作り直したら」
そう言ってしまって、メイルは滅入っていた。
「ミシェル・ファイファーなら、どうしてピクニック気分で生きられるの?何でそんな人の気持ちを考えないことが言えるの?自分が勉強したからって、どうしてそんな人を傷つけることが言えるの?変わった人だと思ったけど、残酷な人なのね、と、きっと物を投げてくる」と、メイルは苦笑した。
そうなのである。
人を思いやるということは、自分の考えを、感情を、絶対に押し付けてはいけないのである。
そんな愛を強要できないことなど、百も承知していたはずなのに…メイルはすっかり自信喪失し、憔悴している。
ミシェル・ファイファーが、相手のアル・パチーノに、
「どんなときに死にたいと思うの?」と訊いた。
「孤独感から女性のパートナーを探して、それなのに肉体的に関係するとそこに嘘や打算が生まれ、一番大切な精神的に繋がれないと感じたとき…愛の可能性を信じたいのに、それがダメだと感じたとき」と、
アル・パチーノが応えたのに、
「まさに、自分の勘違いそのものじゃないか…」
と、憤慨していたメイルだったのに…。
「父さん!ゴメン!」
メイルは、今、それも心の中でしか言えない状態である。

どちらにしても、この映画でポイントになったセリフが、今、メイルの脳裡をピンボールのように跳ね回っている。
bark up the wrong tree(勘違い、オカド違い)
ミシェル・ファイファーまでに、そんな言い方をしたことがなかったのに言わせた、このセリフは、もしかすると、メイルの残りの人生訓になりそうである。


恋のためらい フランキー&ジョニー恋のためらい フランキー&ジョニー
(2007/09/21)
アル・パチーノ

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☆介護の重要ポイント22

メイルは自分の介護すら満足にできない状態なのに、友人から、終末ケアに適した信頼のできる病院、施設を紹介して欲しいと依頼され、新たな悩みになっている。
これも、いざ探すとなると、患者の身になってケアしてくれそうなトコロがないのである。
これこそ、メイルにとっても、明日は我が身。
ありとあらゆるネットワーク、コネクションを駆使しているが、本当に理想的なホスピスや終末ケア病院がないのである。
誤解があるといけないので、的確に言うと、変更された介護保険システム、後期高齢者医療保険システムのことまでかかわり、維持が難しく、ここも人材難が影響している。
つまり、純粋に天職として、介護や医療に携わる人が、仕事に没頭したり、そこそこの生活をするのが困難な状況なのである。
メイルは、正直、ショックで、茫然自失。
これが世界一の長寿国家、日本の現状だとは…。









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介護、解悟。そして、マンブル。

 
介護を始め、初めて解悟したことがある。
メイルにとって、介護は、決して故郷のようなものではなかった。
「遠くにありて想うもの」なのではなかったばかりか、「悲しく謳うもの」などでもなかった。心のどこかで、できることなら遠くから眺め、ああ!と嘆いて終わりたいと、身勝手に望んでいた自分を、いやというほど後悔させられる結果になっている。
青天の霹靂として直面させられて以来、心の奥にザックリと突き刺さり抜けなくなった小枝のように、起きている間はもちろん、寝ている間まで意識させられる毎日が続いている。
そのせいで、実際、メイルはその故郷までついに失ったのである。
そして、気がつくと、自分の周りに、同じ介護で苦悩している仲間が多いことに、驚かされてもいる。
祖母の介護問題で親戚間でトラブルになった人、父親が癌と判明し病院探しに奔走しその末期看護に尽力した人、母親の突然の訃報にも気丈に故郷に戻りその葬式を遂行した人、多忙にもかかわらず母親の介護を実の娘として自分で担っている人、末期癌の母親を我が国の医療システムの矛盾と正面と立ち向かいながら1人で介護を続けている人。
それらを目の当たりにし、改めて自分の至らなさを痛感し、悔悟するメイルなのである。

今、ホームにいる父親に何も恩返ししてあげられない歯痒さ、忸怩、自責の念、無力さに、メイルは言いようのない孤独感を味わっている。
メイルは子どもの頃病気がちだった。特に高熱が続いた時には、共働き家庭だったが、母親よりも父親が仕事を休んで枕元に付きっ切りで看病してくれた。口数の少ない父親が、こまめに氷枕を、タオルを、パジャマを換え、リンゴをすりおろして食べさせてくれた。
メイルにとって、父親がまさに母親だった。
それは、皇帝ペンギンの父親に似ていた。
介護生活が始まっていたメイルが、ここ数年間で、そのストレスを一瞬忘れさせてくれた映画に、「ハッピー・フィート」というアニメがあった。
自然環境破壊や人間の横暴さから、食料である魚が激減した皇帝ペンギン家族が、そのエイリアンでしかない人間とコミュニケートし、反省させるというシニカルな映画だった。
その主人公の「マンブル」のファニーでユニークなタップダンスが、とってもラバブルで感動的だった。
「Mumble」、モグモグ、ブツブツの意味から名付けられた子ペンギンは、メイルのように変わったドン臭い存在で、他人事とは思えなかった。どの世界でも、周りと歩調を合わせられないと、いい悪いでなく、排斥されるのは同じなのかも知れない。
ましてや、すっかり年老いて、歯がなくなり、入れ歯を外すと、モグモグ話す父親も、一人の「マンブル」だったから、余計この映画は印象的だった。
歌のうまさだけが評価される設定の皇帝ペンギンの世界の中で、ダンスがウマいけれど歌がヘタな「マンブル」は異端児で、仲間に入れない孤立した存在そのものだった。
メイルは、そのマンブルに自分自身を投影し、多少ブルーにもなった。けれども、その幸せな脚が、それをはるかに超えたハッピーな気分にさせてくれた。
どちらにしても、その皇帝ペンギンの父親たちが、4ヶ月間、終わりのない寒さと戦い、何も食べずに、卵を温め続けることが、その「ハッピー・フィート」の映画の中での話だけでなく、現実にそうだということにも吃驚させられた。
それゆえ、母親が帰ってきても、簡単に子どもを母親に渡さない父親までいるということも、妙に納得できた。ただ、あれだけいる仲間たちの中で、ペンギンの母親が自分の夫を見つけることには、なぜか深く感銘を受けていた。
メイルも父親が側に長くいたから、自然に父親には馴染んでも、その分、母親の温もりを知らないで育ったのも事実だった。

そう言えば、映画のプロローグで、
「ビューティフルでなくても、リッチでなくても、クールでなくても構わない。愛があれば…」と、
マンブルの両親が出会う時に歌い合う光景にだけは、メイルは愉快な気分になれなかった。
もちろん、それはパラドックスなのだが、今の心境では、いくらわかっていても我慢できなかった。
それだからこそ、マンブルが後を追ってきた彼女に、その本当の気持に反し、
「キミは一時的に華やかなだけの、けばけばしくて、これ見よがしの女。もし卵を持ててもどうやってそれを守るの?ボクは変わっているのだから、自分の独自の空間がいるんだ」と、断腸の思いで彼女を追い返すシーンにとても感動した。
それこそが愛の力だと思った。
だからこそ、マンブルがその彼女と再会したとき、たくさんの子どもを彼女がすでに作っていたことが、愛の現実の姿だと苦笑させられた。

メイルは今、まだまだ自分が被介護の立場になる訳にはいかないと、部屋の中で、「ハッピー・フィート」のDVDを観ながら、マンブルのマネをしてタップをしている。
そして、「母さん、まだまだ負けるわけにはいかない」と、マンブル、ブツブツ言っている。


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(2008/04/11)
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☆介護の重要ポイント21

介護をする側は、介護をされる側の気持ちを慮れと、周りは簡単に言うに違いない。
メイル自身も、ずうっとそう信じてきている。
でも、本当にそうできるのか、疑問を覚えてもいる。
なぜなら、お互いに元気に話合えるときに、そんなことを話合わないのが人の常。
我々日本人には、そういうことを美徳と思わない習性があるからである。
しかしながら、不備が多く被介護者の気持ちになって作られていない、現状の介護システムを考慮すると、早い時期に、きちんと臆せずに話合っておくべきと言わざるを得ない。
お互いに満足し合える介護はそこからしか実行できないはず。
どちらにしても、人間らしい介護を目指すには、人間的な介護士のいる施設の選択が絶対条件になる。




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プロフィール
 

介護人 メイル・GIVEソン

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
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