FC2ブログ
 
 
 
 
 
介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

悔悟、悔悟。そして、「パフューム」の新生児。

 
葬式って、一体何のために、誰のためにやるのだろう?
メイルは真摯に悩んでいた。今年になって、母親の死に直面し、それはより深刻になっていた。
父親や兄と真っ向から、母親の葬式をどうするかで対立したからだった。
結果として、父親の意向に合わせて、兄が母親の葬式を執り行った。
カタチよりも、気持が大切と考えるメイルには、それが納得できなかった。
メイルにとって、介護度5になってしまった母親を療養型介護老人ホームに入れてしまった段階で、心の中で、その儀式は終わっていたと言っても過言ではなかった。
本来なら、自分の手で最後まで母子として介護すべきだと確信し、悔悟の毎日を過ごしていたからである。
親の死を凝視することは、人間にとって重要な修養の機会であることぐらいは、百も承知している。
しかしながら、コミュニケーションが困難になったこと以上に、物理的な負担から、自らの手による介護を放棄せざるを得なくなった時に、精神的にその覚悟はできていた。
恐らく母親は、ほとんどの人間がそうであるように、一人で寂しくこの世を去って行ったに違いない。
メイルは、そう考え、忸怩たる思いで生活していた。
と同時に、物理的な都合上、父親も同じホームに入れていた。
そして、母親が死んだ後、父親が極めて元気なことに複雑な思いを持っていた。
それが、今度は、その父親の葬式のことで、兄と再び対立するとは、哀しいことに全く予期していなかった。
母親が死んで、ぴったり半年後、父親が急逝したのである。
メイルは、正直、「もう少し、待ってて欲しかった。母親の心の整理がつくまで、生き続けていて欲しかった」と、父親の亡骸にそっと呟いていた。
精神的にも、肉体的にも、経済的にも、何の準備もしていなかったからだった。
だから、突然、兄から、「今度はオマエのために父親の葬式をしてやるから、オマエがその準備をしろ」と言われ、唖然としていた。
全くどういう意味なのか、理解できなかった。
結局、葬式とは、先立つ人間に対し、目一杯の配慮を怠った人間が、その自己弁護のために行う欺瞞行為、情けない言い訳そのものに他ならないと、メイルは再認識している。

メイルは、なぜか穏やかな父親の顔を見つめながら、突然、映画「パフューム」で、主人公である《ジャン・バティスト・グルヌイユ》が、その母親から産み落とされた瞬間のことを思い出した。
恐ろしいほど不衛生極まりない18世紀のパリのセーヌ川沿岸の魚市場、その大量の魚の腸の上で、彼は産声を上げた。それに驚いて、勝手に5人目の死産と決めつけていた母親が逃げた。そして、母親は、子殺し犯として縛り首になった。
この新生児の演技(?)に、メイルは生命の摩訶不思議さを感じ、驚嘆させられた。
何が何でも生きてやるという決意が、すでにそこから感じたからである。
それを思い出し、メイルは「これで次は間違いなく自分かな?」と感じていた。
「本当に、人間の命って、何なんだろう?」、「何と儚い命なんだろう!」、「何があっても、生きている限り、積極的に生きてゆくしかない」と改めて自問自答し始めていた。

それにしても、「パフューム」という映画には、強烈なインパクトがあった。
その悪臭だらけのパリで生まれた《ジャン・バティスト・グルヌイユ》が、孤児院に売られる。そこで子どもたちにすぐに殺されそうになる。明らかに、何かが他の子どもたちと違うからだった。
そんな雰囲気を醸し出していた、この新生児の演技(?)は、本当に出色だった。
特に、一人の子どもが指を近づけた時、それをおもむろにその新生児が掴んだ瞬間、メイルは鳥肌が立った。
5歳になると、彼は、その嗅覚における天才的才能を示し始める。温かい木、濡れた石、冷たい水、何キロ先の匂いまで、嗅ぎ分けられるのである。
13歳になると、7フランで、なめし革職人に売られ、1日15~16時間働かされる。
その汚くて臭いパリでは、当然、香水が人気になり、「アモール&プシュケ(愛と精霊)」が大ヒットする。
それで、《ジャン・バティスト・グルヌイユ》は、香りがお金になることを知り、ダスティン・ホフマンに弟子入りする。
そして、命の源は香り。香りは音楽と同じで、ヘッド(頭)は第一印象、ハート(心)は持続性、ベース(土台)は残り香で、そのハーモニーが大切なことを学ぶ。
けれども、愛を知らない《ジャン・バティスト・グルヌイユ》は、せっかく出合った赤毛の色白の少女の匂いに陶酔するが、彼女を殺した時に、その匂いが消えてしまったことにショックを覚え、匂いを捉えることを追求し始める。
やがて、彼は、死んだ石の安らかな匂いを感じ、至福を覚え、自分の存在を気にする。すると、自分に独自の匂いがないことに気づく。それは、生きた証がないということで、誰の記憶にも残らないという恐怖に繋がる。このままでは耐えられないから、自分の存在を示す、自分の特別な匂いを創ろうと、決意する。それが、永遠に続く愛の香り、金や恐怖や死より強い力、人類の比類なき愛を呼び起こすものだった。
《ジャン・バティスト・グルヌイユ》は、自分が何かを感じる女性まで含め、何と12人の女性を殺して、ついに究極の香りを創り上げた。
その香水によって、本来なら死刑囚でしかない彼が、無敵の力を持ったエンジェルになった。ただ、その香水の力を持ってしても、彼を、人並みに愛し愛される人間に変えられなかった。
そして、「そんなものに用はない」、「世の中がなんだ」、「香水も自分も消えうせろ」と気付いた彼には、そんな究極の香水も、結局、何の意味もなさなかった。そこで、生まれて初めて、彼は愛のある行動を取った。つまり、自殺したのである。
どちらにしても、創造のためなら、人殺しまでが許されているかのように思える、不可解な映画だった。

ただ、その生まれたばかりの目の見えないはずの新生児が、何とも言えない表情で、人間の持つ業を知り尽くしているようで、世の中の何もかもを理解しているようで、それでもなお、そんな現実社会で生きてゆこうとしているようで、メイルの心を捉えた。
メイルの父親も、母親も、兄も、そして自分自身も、世界中の誰もが、あんな風に生まれたに違いない。
この世に生を受けるということは、限りなく生々しくて、リアルなもののはずである。
そして、ほとんどの人が、あの新生児のように、生きることへの強い執着を持って生まれてきたはず。
それなのに、やがて、誰もが死ぬ。
母親のように、そして父親のように…。
だからと言って、最後だけ、必要以上に華美に、虚飾的に、格式ばって、お清めや故人の願いと称し、全く面識のない親戚まで集まってワイワイガヤガヤ酒を呑み、生ものを食べ、笑い合う、嘘八百のような葬式が、なぜ必要になるのか、どうしても理解できない。
それのどこに、死者への愛惜の念があるのか、わからない。
鎮魂とは、最初から最後まで、それぞれの心の中で完結させるものだと、メイルは今なお信じている。
どうあれ、メイルは、ついに両親を失った。


パフューム スタンダード・エディションパフューム スタンダード・エディション
(2007/09/07)
ベン・ウィショー.レイチェル・ハード=ウッド.アラン・リックマン.ダスティン・ホフマン

商品詳細を見る


☆介護の重要ポイント23
メイルは、結果として、介護することはなくなり、悔悟だけが残った。
自分が被介護者になるのも、時間の問題かも知れない。
そう考えて、とても心配していることがある。間違いなく、今、介護業界は人材難。猫の手も借りたいのが現状のはず。
その意味で、インドネシアから看護士と介護士1,000人を受け入れることが決まったことは、素直に喜ばしいことである。
そういうことこそ、どんどんグローバル化していいと思っている。
メイル自身、介護体験を生かし、コミュニケーションがすべてと痛感しているので、そっとインドネシア語の勉強をしようと決心している。






ブログランキングに、投票おねがいします。 

 にほんブログ村 介護ブログへ
スポンサーサイト



 
 
 
 
 
 
プロフィール
 

介護人 メイル・GIVEソン

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
bnr-tosenbo-kaigo3.jpg

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
PR
 
 
 
 
 
 
 
QRコード
 
QRコード
 
 
 
 
 
 
ブログランキング
 
 
 
 
 
 
 
ブログ内検索