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介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

介護を超えて、悔悟のままに、「キャメロン・ディアス」のごとく!

 
メイルは、すべての物理的なモノを失いつつ、自分の介護の将来に苦笑いしながら、じっくりゆっくり歩み始めている。
「どこに向かえばいいのか? 母親のように介護度5に突然なったらどうするのか? 何のために生きながらえるのか? 明確な答えを持てなくても、歩くしかない。止まることも、休むこともできない。すぐ近くで温かく手を差し伸べてくれた人たちに、とりあえず恩返しをするためにも…。本当は走りたいのだが、さすがに、どうあがいても、疲労困憊の今のカラダでは鞭を打たれても走れない。それより何より、この介護の日々の数年間、走らないでいたら、実際に走れなくなってしまっているのかも…」
メイルには、それが結構ショックでもある。
光陰矢の如し。
「いくら因果応報と言っても、この老人社会、未成熟な介護システム…。自分のように、最も人生で貴重な時間を、こうして滅私奉公のように浪費している人は、たくさんいるのだろうな…」
そう考えると、やはり、のんびり、あるいは自暴自棄になって、止まっているわけにはいかないとメイルは強く決心している。
生れて初めて、両親のいないデラシネ(根無し草)になった今、残りの人生で何の花を咲かせられるのか、不安というよりは興味深いところが強い方が事実である。それにしても、
「両親は一体どこに行ってしまったのか? かの親鸞上人も行ったことがないから知らないと言っていた、浄土は本当にあったのか? それより、二人は今一緒なのか?」
と時々、考えては、メイルは冷や汗をかいてもいる。
「どうかもう一度、いや初めて本当に仲睦まじくなっていて欲しい…」
メイルは心の底から願っている。

そんなメイルが、最近よく考えるのが、「イン・ハー・シューズ」のキャメロン・ディアスである。
両親が再婚し、その継父と仲が悪い。ついつい忍耐がなく努力を怠る性格が影響して、日々刹那的な生き方をしている。
しかも、本当の姉は弁護士で、ちゃんと独立して自活している。
ただ、姉の劣等感は、妹のキャメロン・ディアスのような美人ではなく、どうしようもない上司の妻帯者と不倫している。
そんなある日、その不倫相手と寝ていて、悲しいぐらい健気に男の寝顔を写真に取ろうとしているところに、酔いつぶれた妹を引き取ってくれと電話を受ける。
当然のごとく、誠実な姉は、あまりにも惨めな妹の姿に説諭する。
「私みたいな落ちこぼれの、何をやってもうまくいかない人間の気持ちの、何がわかるの!」
キャメロン・ディアスは、シニカルに反発し、モテなくて、靴を買い続けている姉を逆に揶揄する。
それでも、姉は自分の部屋に妹を引き取る。
そして、妹のキャメロン・ディアスは、男を泊めている姉を冷やかしまくる。
翌朝、偶然全裸で歩く姉の相手の男を一見しただけで、キャメロン・ディアスは男のレベルを感じる。
真剣に妹を何とかしなければと口うるさく叱責し続ける姉。
一念発起し、何とか就職口を見つけようとするキャメロン・ディアス。
そんなある日、借りていた姉の車を駐車違反で運ばれてしまう。
急いで仕事に出かけようとして、それを知り、激高する姉。
言われることがすべてその通りだからこそ、余計開き直るキャメロン・ディアス。
その焦燥で、その夜、尋ねてきた姉の情夫と関係を持つ。
情けない情夫の方も、これ幸いと馬乗りになっているところへ、帰って来て目撃する姉。
姉は、悔しくて悔しくて飛び出してゆく。
そして、映画は、そんなマヤカシの世界から、姉は離れ、キャメロン・ディアスもさらに姉妹愛を深め、自立してゆくまでの極く普通の物語。

メイルがこのキャメロン・ディアスに共感し、そのことを無闇矢鱈と思い出すのは、今と全く違った角度から人生に斜になっていた高校時代と、なぜか自分がダブルからである。
受験にも興味がないだけでなく、クラブ活動中の事故で九死に一生を得、まるでデカダンの極みのような毎日を過ごしていた。
そんなある日、学校にも行かず、誰もいないはずの家の自分の部屋で、メイルはガールフレンドとsexの真っ最中だった。
その時、
「バッシ!」
裸だったメイルは背中を思いっきり叩かれた。
そこに、問答無用の顔をした母親がいた。
「服を着て、いらっしゃい!」
母親はメイルにではなく、ガールフレンドに向かって言い放った。
メイルはその母親を力任せに押しながら、居間まで連れて行き、懇願した。
「彼女は関係ないだろ!今日は何も言わないで!」
そんなメイルの言葉は全く無視され、彼女をコンコンと説教した。
「子どもができたら、どうするの?そんなことになったら、ご両親に何て話すつもり? そうでなくても、女は大変なのよ…」
その直後、メイルは家を出て、放浪の旅に出た。
そして、静岡県の伊東市で住み込みで働き始めた。戸籍も無断で移籍した。
今とは違って、何もかもどうでもよかった。
ただ心のどこかで、いつも家を意識していた。
その家がなくなった今の方が、生きる意識が高いことに、素直に驚きつつ、
「ようやくこの歳になって、少しは成長したのかな」
と苦笑いしてもいる。

イン・ハー・シューズイン・ハー・シューズ
(2008/04/16)
キャメロン・ディアス

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☆介護の重要ポイント26

介護者が、被介護者に対し、優位であるなどということが全くないのは歴然。
できる限り被介護者の心中を慮って、残りの時間をコンフォタブルに過ごさせてあげるしかしかない。
それこそが、唯一無二の責任と言っても、過言ではない。
ところが、昨今の家族間のコミュニケーション不足のために、これが意外に難しい。
特に、日本人ならではの恥への強い意識があるから、簡単に相手の意のままには行かない。
被介護者には、「当然こんな醜態を曝すくらいなら、死んだほうがマシ」という自暴自棄な考えになりがちな傾向が出てくるし、介護者の方にも「こんな大変な思いをするくらいなら、いっそ一緒に心中でもしたほうが…」という気持ちにもなってくる。
かなり奥の深い問題なのである。
どちらにしても、メイルは自分の経験で、たった一つだけ示唆できるのは、「今までの親不孝の埋め合わせをしようとだけは、絶対に考えてはダメ」ということ。
現在の介護システムでは、仮に経済的に余裕のある人でも、ずっと誰かにゆすられているような強迫観念でクタクタになるし、経済的には自分が間違いなく破綻する。
人間的であることの難しさをつくづく感じさせられる。
その一番象徴的なことは、亡くなってしまった人間の私物の始末である。
手紙やアルバムですら、パーソナルなものであり、勝手に処分できないが、本人以外の誰にも用がない。
ましてや着る物になると、本当にどうしていいかわからなくなって、途方に暮れる。
結論的に言えば、介護者は、被介護者に代わって、いくつかのことを断腸の思いで、自分の意志で決断する覚悟が必要になる。
どうか、それだけは肝に銘じて欲しいとメイルは思っている。




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プロフィール
 

介護人 メイル・GIVEソン

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
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