濃厚なる介護死! 「清水由貴子」に、黙とう!
メイルは、日本の芸能界に、全く興味がない。
格好をつけ、気取って言ってはいない。
とにかく、生理的にも情緒的にも、何かスペシャルなものを、ググッとくるバイブレーションのようなものを、一切感じられないうえ、芸の能力で勝負する風情がなく、その私生活を切り売りして稼ぐさもしさが目に余って、好きじゃない。
そんなメイルでも、清水由貴子なる元タレント(?)の、ただただ胸が痛くなる凄惨な自殺に、正直、絶句…。人目をはばからず、号泣させられた。
しかも、メイルは、自分の辞書に自殺という言葉を載せていないのに…。
デビュー当時から、むやみやたらと明るくて元気なことに鼻白んでいたから、凄く印象に残っていたタレントだったから、覚えていたのかも…。
その意味で、清水由貴子は、間違いなく一つの強烈なインパクトを持ったタレントだった。
それが、今回の戦慄の状況下での自殺、母親を巻き込めない無理心中崩れ?によって、メイルは彼女の私生活の一端を知らされ、柄でもなく心の底から哀悼の意を表し、そして、また号泣している。
清水由貴子が、8歳のころに死別した父親代わりにもなって、自分のために必死に働いている母親を助けるために、タレントになったことを知った。
それだから、静岡県小山町のある、富士山の見える最高の眺望の立派な霊園に、父親の墓を建てたのだという。
「凄い、凄過ぎる…」、メイルにはその言葉しか浮かんでこない。
そして、「自分には到底そこまでできない…」とそっとうめいている。
やがて、清水由貴子は、タレントとして成功すると、すぐに東京に母親と妹を呼び一緒に暮らし始め、その生計を担ったという。
それ以降、結婚もせず、重い糖尿病の母親の面倒を自分で看続けていたという。
「凄い、凄過ぎる…」、メイルには、やはり、その言葉しか浮かんでこない。
自分は、両親にそんな立派な墓を立ててあげられなかったから、余計だったのかも…。
もっとも、メイルはお金があり余っていても、そんなものに絶対にお金をかけないが…。
ともあれ、「自分だったら専用のヘルパーさんをすぐに頼んでいただろうな…」と、呟いている。
「それにしても、母親に対する、これほどまでの濃厚な誠実って、一体どこから生まれたのか?今どき、そんな日本人が残っていたなんて…」と、メイルは涙を拭おうともしない。
「そのせいで、あんなに異常なほど明るくしていたんだ…どうして、そこまで意地になれたのか? 何がそうさせたのか? 世間への負けん気? そんなに母親への誠実さがあったら、もっと謙虚になればよかったのに…ボクですら、そんなものは全くなかったのに…あれほどの笑顔を他人に振りまいたのなら、そのぐらい理解して、力を抜けばよかったのに…世間はそれほど寛大ではないかもしれないけど、自分はそんな世間にもう少し寛大になればよかったのに…」
全くタイプじゃないのに、メイルの脳裏から、なぜか清水由貴子が離れない。
3年前、母親を介護するために、芸能活動を中止して、パートまでし始めたと知って、そっと頭を下げている。
にもかかわらず、人生はいつものように残酷無比なもの…。
今度はその母親が転倒して、首の骨を折って、介護度5になってしまったというのである。
それでもなお、清水由貴子は自分で介護し続けたというから……、言葉が見つからず、また涙。
そして、メイルが地団駄踏むほど悔しがりながらも、素直に敬意を覚えているのは、決してその母親に手をかけなかったことだった。
ただ自分の傍らでそんな状態の母親を雨の中に曝しながら、清水由貴子が黒いポリ袋を被り、独りで硫化水素を浴びたことに異議を唱える人もいるかも知れない。
けれども、メイルは、その常軌を逸した行動に、母親へのこの上ない愛情、自分の人生を台無しにされたことへの憎悪を、イヤというほど感じて、ある意味人間的風情を感じている。
その生々しさこそが、本物の母娘のあり方だと思うからである。
メイルは、あれだけ母親から「こんな状態なら死んだ方がまし」と見つめられても、結局は、何もしてあげられなかった。
「いっそのこと心中しようかな」と思っても、結局、何もできなかった。
そして今、「死ぬ時は母親に看取られたい」という儚い夢も、結局、もう叶わない。
「清水由貴子は、その全部をいっぺんに自作自演で、最後の一世一代の名演技で、見事にやり遂げたに違いない」と、メイルは、一人の人間として、その点で清水由貴子なるタレントに、初めて好感を持ったのかも知れない。
今、メイルは、改めてそっと合掌している。
ただ、その清水由貴子の30年前に廃番になっていたアルバムを、復刻版CDを出して、便乗しようという情けないヒトたちがいることに、また鼻白んでもいるが…。
☆介護の重要ポイント-38
無能で卑劣な厚労省によると、在宅介護者の4人に1人が、軽度の鬱。
介護者の年齢が、50歳前後で20%、65歳以上で30%が「死にたい」と考えているなのだという。
メイルは、その気持ちが十分にわかる。
単に経済的な問題だけではない。
メイルは、自分の母親を抱きかかえることさえできなかった。
それゆえ、その排泄何か、到底、はなから不可能だった。
一度だけトライして、悔し涙を流していた。
ただ、食事を食べさせるのは、得意だった。
もっともメイルの母親は口腔からは、ほんの少しだったが…。
実際、重度の介護には、かなりの経済的負担がついて回る。
メイルのように、それが2人同時になってしまったら、それはほぼ破産への道になる。
清水由貴子やメイルのような見栄っ張りには、あらゆる意味で、ズタズタになる。
介護に見栄は、絶対に禁物。
今、世界的な大不況と高齢化社会が、「老老介護」を不可能にさせている。
世界中で、メイル世代の人が、生活と介護のハザマで苦悩している。
USAのあるアナリストが、明言していた。
「計算上、50年前は、1人の高齢者を、16人の若者が面倒看ていた。それが現在では、3.3人で面倒看なければならなくなっている。その意味で、5分の1の社会的サービスしか受け入れられないと覚悟するしかない」
それが現実と思うしかないのかも…。
格好をつけ、気取って言ってはいない。
とにかく、生理的にも情緒的にも、何かスペシャルなものを、ググッとくるバイブレーションのようなものを、一切感じられないうえ、芸の能力で勝負する風情がなく、その私生活を切り売りして稼ぐさもしさが目に余って、好きじゃない。
そんなメイルでも、清水由貴子なる元タレント(?)の、ただただ胸が痛くなる凄惨な自殺に、正直、絶句…。人目をはばからず、号泣させられた。
しかも、メイルは、自分の辞書に自殺という言葉を載せていないのに…。
デビュー当時から、むやみやたらと明るくて元気なことに鼻白んでいたから、凄く印象に残っていたタレントだったから、覚えていたのかも…。
その意味で、清水由貴子は、間違いなく一つの強烈なインパクトを持ったタレントだった。
それが、今回の戦慄の状況下での自殺、母親を巻き込めない無理心中崩れ?によって、メイルは彼女の私生活の一端を知らされ、柄でもなく心の底から哀悼の意を表し、そして、また号泣している。
清水由貴子が、8歳のころに死別した父親代わりにもなって、自分のために必死に働いている母親を助けるために、タレントになったことを知った。
それだから、静岡県小山町のある、富士山の見える最高の眺望の立派な霊園に、父親の墓を建てたのだという。
「凄い、凄過ぎる…」、メイルにはその言葉しか浮かんでこない。
そして、「自分には到底そこまでできない…」とそっとうめいている。
やがて、清水由貴子は、タレントとして成功すると、すぐに東京に母親と妹を呼び一緒に暮らし始め、その生計を担ったという。
それ以降、結婚もせず、重い糖尿病の母親の面倒を自分で看続けていたという。
「凄い、凄過ぎる…」、メイルには、やはり、その言葉しか浮かんでこない。
自分は、両親にそんな立派な墓を立ててあげられなかったから、余計だったのかも…。
もっとも、メイルはお金があり余っていても、そんなものに絶対にお金をかけないが…。
ともあれ、「自分だったら専用のヘルパーさんをすぐに頼んでいただろうな…」と、呟いている。
「それにしても、母親に対する、これほどまでの濃厚な誠実って、一体どこから生まれたのか?今どき、そんな日本人が残っていたなんて…」と、メイルは涙を拭おうともしない。
「そのせいで、あんなに異常なほど明るくしていたんだ…どうして、そこまで意地になれたのか? 何がそうさせたのか? 世間への負けん気? そんなに母親への誠実さがあったら、もっと謙虚になればよかったのに…ボクですら、そんなものは全くなかったのに…あれほどの笑顔を他人に振りまいたのなら、そのぐらい理解して、力を抜けばよかったのに…世間はそれほど寛大ではないかもしれないけど、自分はそんな世間にもう少し寛大になればよかったのに…」
全くタイプじゃないのに、メイルの脳裏から、なぜか清水由貴子が離れない。
3年前、母親を介護するために、芸能活動を中止して、パートまでし始めたと知って、そっと頭を下げている。
にもかかわらず、人生はいつものように残酷無比なもの…。
今度はその母親が転倒して、首の骨を折って、介護度5になってしまったというのである。
それでもなお、清水由貴子は自分で介護し続けたというから……、言葉が見つからず、また涙。
そして、メイルが地団駄踏むほど悔しがりながらも、素直に敬意を覚えているのは、決してその母親に手をかけなかったことだった。
ただ自分の傍らでそんな状態の母親を雨の中に曝しながら、清水由貴子が黒いポリ袋を被り、独りで硫化水素を浴びたことに異議を唱える人もいるかも知れない。
けれども、メイルは、その常軌を逸した行動に、母親へのこの上ない愛情、自分の人生を台無しにされたことへの憎悪を、イヤというほど感じて、ある意味人間的風情を感じている。
その生々しさこそが、本物の母娘のあり方だと思うからである。
メイルは、あれだけ母親から「こんな状態なら死んだ方がまし」と見つめられても、結局は、何もしてあげられなかった。
「いっそのこと心中しようかな」と思っても、結局、何もできなかった。
そして今、「死ぬ時は母親に看取られたい」という儚い夢も、結局、もう叶わない。
「清水由貴子は、その全部をいっぺんに自作自演で、最後の一世一代の名演技で、見事にやり遂げたに違いない」と、メイルは、一人の人間として、その点で清水由貴子なるタレントに、初めて好感を持ったのかも知れない。
今、メイルは、改めてそっと合掌している。
ただ、その清水由貴子の30年前に廃番になっていたアルバムを、復刻版CDを出して、便乗しようという情けないヒトたちがいることに、また鼻白んでもいるが…。
☆介護の重要ポイント-38
無能で卑劣な厚労省によると、在宅介護者の4人に1人が、軽度の鬱。
介護者の年齢が、50歳前後で20%、65歳以上で30%が「死にたい」と考えているなのだという。
メイルは、その気持ちが十分にわかる。
単に経済的な問題だけではない。
メイルは、自分の母親を抱きかかえることさえできなかった。
それゆえ、その排泄何か、到底、はなから不可能だった。
一度だけトライして、悔し涙を流していた。
ただ、食事を食べさせるのは、得意だった。
もっともメイルの母親は口腔からは、ほんの少しだったが…。
実際、重度の介護には、かなりの経済的負担がついて回る。
メイルのように、それが2人同時になってしまったら、それはほぼ破産への道になる。
清水由貴子やメイルのような見栄っ張りには、あらゆる意味で、ズタズタになる。
介護に見栄は、絶対に禁物。
今、世界的な大不況と高齢化社会が、「老老介護」を不可能にさせている。
世界中で、メイル世代の人が、生活と介護のハザマで苦悩している。
USAのあるアナリストが、明言していた。
「計算上、50年前は、1人の高齢者を、16人の若者が面倒看ていた。それが現在では、3.3人で面倒看なければならなくなっている。その意味で、5分の1の社会的サービスしか受け入れられないと覚悟するしかない」
それが現実と思うしかないのかも…。
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