介護を超えて、悔悟のままに、どうしても「ジャック・ニコルソン」のごとく-6
メイルの憂鬱は、一向に冷え込んでこない気候同様、消えない。
階下での老婦人の衰弱、その衰弱に比例するかのように介護によって衰弱してゆく、ご家族の衰弱。
その両方の衰弱を、階上から指をくわえて見ているしかないジレンマに、メイルの胃も痛くなるばかり。
実際、約1年半ぶりに、胃カメラの検査をして、ひさびさに胃炎と胃潰瘍が見つかってショックだった。
まさか介護をして悔悟の毎日を送る自分が、他の家族の介護でここまで気を病むとは…。
メイルは、改めて介護というものがそれぞれの人生と密着している現実に、何とも言えない気分になっている。
そして、老婦人のご家族が、自分のように介護の悔悟にならないことをそっと祈っている。
誰もが被介護者になる自分の未来をプランしていないように、介護者の方も自分の親への介護プランを持っていないのは当たり前。
それはそうである。
どんな子どもでも、自分の親がいくら介護が必要になっても、可能な限り一人の人間としての尊厳を保持して欲しいと願うし、親自身もその尊厳を可能な限り保持したいと欲するから、ギャップが生まれる。
結局、どちらかが犠牲になるしかないということは、介護は終わって初めて痛感するもの。
第一、人生自体もそんなもの。
子どものころには疑問だらけで、オトナになっても人生の意味を悟ることができず、答えを求め続ける。
果たして、その答えは見つかるか?
心の目を開けると未来が見えてくるというが…。
それですぐ思い出すのが、映画「The witches of Eastwick(イーストウイックの魔女たち)」のミシェル・ファイファー。
「心の目を開けると何が見える?」というジャック・ニコルソンの質問に答える。
「I don't mind that it's a short life or growing old or disapperring. It's the pain that scares me.I don't know why there has to be...so much pain.(短い人生でも、老いを晒す人生でも平気。でもワタシは痛みが怖い。原因不明の痛み。激痛)」…。
それに対し、ジャック・ニコルソンが言う。
「未来の運命は定められたものだ。変えられない」…。
メイルは、全くそのジャック・ニコルソンに同調できないが、ミシェル・ファイファーの答えには、介護の答えも加わっていると感じる。
少なくとも、介護度5になってしまったメイルの母親は、原因不明の心の激痛に苦しんだに違いない。
その点で言えば、老婦人がいかに贅沢な悩みなのか…とメイルは、ついつい感じてしまうのだが…。
さて、ジャック・ニコルソンとミシェル・ファイファーの出会いの会話が、メイルは大好き。
とくに好きなのが、「You're a fertile creature, aren't you(映画では、想像力が豊かなんだ、と字幕があったが、実際は、肥沃な創造力の豊かな女性、もっと言うと、繁殖力のある創造物、とある種の畏敬を含んだ興味ある女性への最大の賛辞)?」 …。
メイルの好きなタイプの女性。
「Wasted.Pearls before swine(もったいない。豚に真珠だ)」
「Just the two of us,banging away, head to head(二人だけで、じっくりと頭と頭を合わせて、ぶっ続けにsexしよう)」
「It's boring,but it's true(つまんない女よ、本当に)」
「Are you going to seduce me,too?(ワタシも誘惑するつもり)」
「Yes」
「How?」
「I don't know」
知的なのにバカ正直な女性に、メイルはいつも降参。
「I get pregnant all the time.At the drop of a hat.From borrowing your toothbrush(いつもすぐ妊娠するわ。あの先から一滴垂れただけで。アナタの歯ブラシ借りただけで」
「I'll keep that in mind(覚えておくよ)」
「You're not like other men(アナタは他の男と違うわ)」
「I'm not」
「Most men,well,my husband, try to keep everything under control...pretend everything is normal.Always rational,always an explanaion for everything.Men need that,don't they? To feel...everything is solid.And the world just isn't like that(ほとんどの男たちは、夫もよ、ワタシの何もかもをコントロールしようとしたわ…何もかもがノーマルなフリをして、いつでも理性的に理屈っぽく。男たちにはそれがいるのよね。何もかもが不変と感じたいために。でも、世界は不変じゃないのよ)」
「Certainly not with you three around(キミたち三人はそうじゃないって)」
「We're not so diffrent from other women.Women are more natural,right?And nature is crazy, no matter what science says.So I don't mind(私たちだって他の女たちと違わないわよ。女性はもっと自然よ、でしょ? 科学が何を言っても、女性の本性はクレイジーよ。だから、気にしないわ)」
「You don't mind what?(気にしないって、何を?)」
「I don't mind when peculiar things happen.It's natural...because the world is a peculiar place(気の狂ったようなことが起きても気にしないわ。それは自然なことよ。なぜって、世界は気が狂っている場所でしょ)」
「And you're a very peculiar person(そして、キミはとっても気が狂った人間)」
「Thank you」
「I would love to be a woman(女になりたい)」
「Why?」
「Just look what you can do with your bodies. I mean,Make babies and...make milk to feed the babies.If I can do that...(キミの体のように何ができるのかすごく見てみたい。子どもを作って、その子どもを育てるためにミルクを作ったり)」
「Who are you,really?」
「Anybody you want me to be(キミの欲しいすべての人間になる男さ)」
メイルは、この会話こそ、男女の理想的なものだと思っているが…。
階下での老婦人の衰弱、その衰弱に比例するかのように介護によって衰弱してゆく、ご家族の衰弱。
その両方の衰弱を、階上から指をくわえて見ているしかないジレンマに、メイルの胃も痛くなるばかり。
実際、約1年半ぶりに、胃カメラの検査をして、ひさびさに胃炎と胃潰瘍が見つかってショックだった。
まさか介護をして悔悟の毎日を送る自分が、他の家族の介護でここまで気を病むとは…。
メイルは、改めて介護というものがそれぞれの人生と密着している現実に、何とも言えない気分になっている。
そして、老婦人のご家族が、自分のように介護の悔悟にならないことをそっと祈っている。
誰もが被介護者になる自分の未来をプランしていないように、介護者の方も自分の親への介護プランを持っていないのは当たり前。
それはそうである。
どんな子どもでも、自分の親がいくら介護が必要になっても、可能な限り一人の人間としての尊厳を保持して欲しいと願うし、親自身もその尊厳を可能な限り保持したいと欲するから、ギャップが生まれる。
結局、どちらかが犠牲になるしかないということは、介護は終わって初めて痛感するもの。
第一、人生自体もそんなもの。
子どものころには疑問だらけで、オトナになっても人生の意味を悟ることができず、答えを求め続ける。
果たして、その答えは見つかるか?
心の目を開けると未来が見えてくるというが…。
それですぐ思い出すのが、映画「The witches of Eastwick(イーストウイックの魔女たち)」のミシェル・ファイファー。
「心の目を開けると何が見える?」というジャック・ニコルソンの質問に答える。
「I don't mind that it's a short life or growing old or disapperring. It's the pain that scares me.I don't know why there has to be...so much pain.(短い人生でも、老いを晒す人生でも平気。でもワタシは痛みが怖い。原因不明の痛み。激痛)」…。
それに対し、ジャック・ニコルソンが言う。
「未来の運命は定められたものだ。変えられない」…。
メイルは、全くそのジャック・ニコルソンに同調できないが、ミシェル・ファイファーの答えには、介護の答えも加わっていると感じる。
少なくとも、介護度5になってしまったメイルの母親は、原因不明の心の激痛に苦しんだに違いない。
その点で言えば、老婦人がいかに贅沢な悩みなのか…とメイルは、ついつい感じてしまうのだが…。
さて、ジャック・ニコルソンとミシェル・ファイファーの出会いの会話が、メイルは大好き。
とくに好きなのが、「You're a fertile creature, aren't you(映画では、想像力が豊かなんだ、と字幕があったが、実際は、肥沃な創造力の豊かな女性、もっと言うと、繁殖力のある創造物、とある種の畏敬を含んだ興味ある女性への最大の賛辞)?」 …。
メイルの好きなタイプの女性。
「Wasted.Pearls before swine(もったいない。豚に真珠だ)」
「Just the two of us,banging away, head to head(二人だけで、じっくりと頭と頭を合わせて、ぶっ続けにsexしよう)」
「It's boring,but it's true(つまんない女よ、本当に)」
「Are you going to seduce me,too?(ワタシも誘惑するつもり)」
「Yes」
「How?」
「I don't know」
知的なのにバカ正直な女性に、メイルはいつも降参。
「I get pregnant all the time.At the drop of a hat.From borrowing your toothbrush(いつもすぐ妊娠するわ。あの先から一滴垂れただけで。アナタの歯ブラシ借りただけで」
「I'll keep that in mind(覚えておくよ)」
「You're not like other men(アナタは他の男と違うわ)」
「I'm not」
「Most men,well,my husband, try to keep everything under control...pretend everything is normal.Always rational,always an explanaion for everything.Men need that,don't they? To feel...everything is solid.And the world just isn't like that(ほとんどの男たちは、夫もよ、ワタシの何もかもをコントロールしようとしたわ…何もかもがノーマルなフリをして、いつでも理性的に理屈っぽく。男たちにはそれがいるのよね。何もかもが不変と感じたいために。でも、世界は不変じゃないのよ)」
「Certainly not with you three around(キミたち三人はそうじゃないって)」
「We're not so diffrent from other women.Women are more natural,right?And nature is crazy, no matter what science says.So I don't mind(私たちだって他の女たちと違わないわよ。女性はもっと自然よ、でしょ? 科学が何を言っても、女性の本性はクレイジーよ。だから、気にしないわ)」
「You don't mind what?(気にしないって、何を?)」
「I don't mind when peculiar things happen.It's natural...because the world is a peculiar place(気の狂ったようなことが起きても気にしないわ。それは自然なことよ。なぜって、世界は気が狂っている場所でしょ)」
「And you're a very peculiar person(そして、キミはとっても気が狂った人間)」
「Thank you」
「I would love to be a woman(女になりたい)」
「Why?」
「Just look what you can do with your bodies. I mean,Make babies and...make milk to feed the babies.If I can do that...(キミの体のように何ができるのかすごく見てみたい。子どもを作って、その子どもを育てるためにミルクを作ったり)」
「Who are you,really?」
「Anybody you want me to be(キミの欲しいすべての人間になる男さ)」
メイルは、この会話こそ、男女の理想的なものだと思っているが…。
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