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介護人メイルの、悔悟、改悟、開悟、戒護。
 
 
 
 
 
 

介護士、介護死。そして、千尋。

 
メイルは「千と千尋の神隠し」の湯婆婆と銭婆が苦手である。
二人とも全身からなんともいえない不可解な雰囲気を醸し出し、その正体がなかなか掴みにくいからである。
双子であるために区別しにくいこと、不思議な魔力を持っていることが、さらにそれに拍車をかけている。
特に湯婆婆のように思いっきり陰日向のあるタイプが怖かった。ほんとうはもっともっと積極的にコミュニケーションすれば、例え湯婆婆でもその心根が理解できるのかもしれない。
残念なことに視覚的人間のメイルには、それだけはできなかった。
そういえば、妖怪の現われやすい条件は、少し心に余裕があり、もっと世の中を変えたいという鬱屈があるときが一番と誰かが言っていた。
いまのメイルには、心の余裕がまったくないのかもしれない。

メイルが自分自身での両親の介護をあきらめ、両親ともホームに入れてしまったという悔悟を持って以来、湯婆婆のような老女にことさら恐怖心を抱くようになっていた。なぜならば、メイルが訪ねるホームはまさに湯婆婆だらけで、まるで現実の湯屋「油屋」にしか見えない情況といえるからである。
ただ、たった一つ湯婆婆と違うのは、ホームの老女たちは、ほんとうに気さくに陰日向なく話しかけてきてくれるところである。
しかるに、それがかえってメイルを悩ませている。
「ほんとうはいったい何が伝えたいの?」
「なぜそんなに話しかけてくるの?」
メイルは両親が入っているから、しかたなく面会に来ているだけだから、初めから彼女たちの気持を理解しようとさえしていなかっただけだった。
そんな状態だから、余計自分の両親のことなど理解できていなかったかもしれない。
介護度5の母親はともかく、介護度2の父親がそんな情況下に置かれていれば、日々認知症が進行してゆくのは必然なのかもしれない。

両親を人質に取られているということばかりに気を取られ、介護士さんたちの心証をよくしなければと思い込みすぎて、メイルは戦略を間違っていたのかもしれない。
ほんとうに両親のことを慮るなら、介護士さんたちよりも、湯婆婆たちを先に味方にしておく必要があったようである。

そういえば、今日もホームに来る途中、「介護士さんに、何かお土産を」、「介護士さんに、何かを」、「介護士さんに」、「介護士」と、復唱していたら、それが「介護死」にいつの間にか変ってしまい、よく新聞の社会面に載る「介護に疲れた息子、親を絞殺」などというイメージがどんどん広がり、メイルはなんともいえないやるせなさを覚えていた。

メイルは子供の頃から、よく祖父母に「死んだらいったいどうなるの?」という質問ばかりを浴びせ、いつも困らせていた。
父方の祖母は何もきちんと答えてくれなかった。
母方の祖父が夜空の満天の星を指さしながら、「メイルが死んだら、あんな風に星になるんだよ」と答えてくれたが、メイルは嘘つきと内心思っていた。
母方の祖母が「天の向こうにある、とっても平和で、笑顔でいっぱいの極楽浄土というところに行けるんだよ」と答えたときは、ちょっと信じそうになった。
そして、父方の祖父が「大丈夫。メイルはとてもいい子だから、またすぐに生まれ変わってくるよ」と答えてくれたときは、「えっ、何に?」とメイルは一瞬喜んだ。するとその祖父はメイルの考えていることがわかったようで「またメイルとしてだよ」と安心させてくれた。
「ほんとうなの、それ?」「輪廻転生するんだよ」メイルにはその意味は全然わからなかったが、その響きだけはとても信じられた。

確かに、敬愛する画家、横尾忠則が「死とは現実の延長線上にあるひとつのハードルを越えることであって、そこから生が始まる」と輪廻転生を確信した答えをしていた。さらに、「人生には、ゴールがないばかりか、人の存在にもゴールがない」とも答えていた。

しかるに、このような高齢の介護の必要な両親を抱え、自分自身余命さえ幾ばくもなくなった現在でも、メイルはまったくと言っていいほど輪廻転生を信じていない。
「死んだら、何もない。まったくのゼロ。虚無そのもの」
それが偽らざるメイルの本音だ。

思春期に、「dying dead man」、「死にかけた死人のような生き方」をしていれば、なんの怖い思いもせずにダラダラと生き永らえることができると確信していた。絶対に偉くなろうとはせず、堅苦しいパーティーには参加せず、もちろんお金持ちになろうとせず、それこそ存在があるかどうかわからないような生き方をしていれば、神様も閻魔様もきっとほっといてくれると思っていた。

そういえば、かなり前にテレビで「リターン・フロム・ザ・デス」というドラマがあって、毎回、死から蘇生した人の体験談が放送されていた。死からの生還者である人たちのほとんどは、まず最初は自分の屍を真上から見つめることになり、次に眩いばかりの光の世界への入口があって、そこから戻れるかそのまま進むかが、死と生との分かれ目であると教えてくれるストーリーだった。
「あの再放送でもやればいいのに」
メイルがあのときあれほど愚弄していたそのテレビ番組を、本気でもう一度見たい気持になっているのかはわからない。
もしかしたら、だれかに見せたいのかもしれない。

ともあれ、人間というものは、生きている間、死ぬことをできるだけ考えず、必要以上に意識せず、きっと大丈夫と思い込んで、生き続けるしかないのである。
どうあれ、メイルはそれだけは知っている。


☆介護の重要ポイント3
自分が介護士になれず、介護死することもなく、無事に親の介護を続けてゆくには、とにかく介護士さんたちといい関係を構築してゆくしかない。それには、まずなによりお土産である。





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Comment
 かいーご・アミーゴ [URL] #-
介護の日常は、いつも自分ではなく相手の立場に立って考え行動する事を、忘れるなと警鐘を鳴らしてくれます。
老病死に対する怖れ・怒り・恐怖は直面しないと分からない事かもしれない。
そしてこの現実は、きっと天が与えた何かしらの意味・自分の使命があるんだろうと思える一方で、未熟な己をも思い知らされ日々一進一退という有様です。
メイルさんは、でもどこか哲学的にとらえていて、意味が深いカンジですね。

 2007.11.25 Sun 19:42 [Edit]
 メイル [URL] #.8bT96/M
立ち上げて間もないブログに、いろいろとコメントありがとうございます。
文章から読み取るところ、同じ世代の方ではと勝手に想像し、うれしいやら恥ずかしいやらです。
ご指摘の通り、老・病・死は、個人の意思を全く無視して訪れてきます。このプライバシー最優先の時代ですから、ちょっと流行遅れな感じまでします。一秒前は過去であり、一秒後は未来であり、この一秒だけが現在、と考えると空虚感と焦燥感に襲われてしまいますが、だからこそこの一秒の現在をどこまで感じ合えるか、それが生きている理由だと思います。
それは、目に見えない、言葉でもうまく表せない、ご指摘のような天が与えてくれる、独特のバイブレーションだと思うのですが…。
それをどこまでも貴重なものと捉え、精一杯生きてゆくしかないのではないでしょうか?
ただ、ご指摘のような親子の立場の逆転という発想は、少しおかしいと思います。間違いなく、子は親から生まれるものですが、老・病・死のどれをとっても、そんなことは無関係に訪れてくるものだと思います。その意味で、介護をする責任を痛感する以上、何物にも代えて、両親より先に死ぬことだけはできないと毎日祈っている実情です。
考えてもみてください。子どもの頃の思い出深いできごとって、まだまだ昨日のことのように鮮明ではないでしょうか?おそらく、ボクの両親も同じではないかと思っているのですが…。
かいーご・アミーゴさんへ感謝をこめて 2007.11.26 Mon 16:11 [Edit]






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介護に関する最新ブログ、ユーチューブなどネットからの口コミ情報をまとめてみると…
2007.11.19 23:20
 
 
 
 
 
 
プロフィール
 

介護人 メイル・GIVEソン

Author:介護人 メイル・GIVEソン

介護なんて、「する側」も「される側」も現実であってほしくないと毎日願って過ごしている。
ある日突然、前ぶれもなく目の前にそれが現れた…。

東仙坊の、介護用ハンドルネーム「メイル・GIVEソン」が、好きな映画と対照して、お届けする介護ブログ。
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